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「何かになること」を諦めて「何かをすること」を始める

自分の夢を語る時、「◯◯になること」の「◯◯」を変化させながら生きてきた。

「◯◯」が変わることは自分の興味関心が変わっているのだから当然だと思ってきたが大学も卒業してそろそろ「◯◯」を変数ではなく定数にしたいと思って、何が自分がなりたい「◯◯」なんだろう、と考えていた。

結論、自分にとって最適な「◯◯」を発見することにこだわるよりも前に「なること」の方を変えなくてはいけないと思うようになった。

なぜなら「なること」には終わりがない。

何かになるだけでいいのであれば1秒でも何かになってしまえばそれで満足できる。

企業費用も20万そこそこなので簡単に社長にだってなれる。

しかし、何にでもなれるからこそ何になっても満足できない。

しかも、何になっても満足できないからこそすぐに辞めてしまう。

だから「なること」を目指している限り「◯◯になること」の「〇〇」は永遠に変化し続ける。

タイトルからわかるように僕は「なること」よりも「すること」が重要だと考えた。

なぜなら「すること」には終わりがある。

「何かをすること」には身体をよく使う。身体を使うということは続けていれば疲労感を感じる。

疲労感を感じる時には同時に満足感も感じることが多かったり、「ここまでやったんだから」とキッパリ終わりを宣言することができる。

僕は今具体的にはスポーツを念頭に置きながら書いている。これは僕の経験談だが、プロ選手になることを目標としていると、いつになったら練習のやめ時なのかが分からず、燃え尽きるまで続けた結果再起不能になる。

一方でスポーツを楽しむことを目標にやっているとほどほどに疲労感を感じたタイミングで止めることができるし、無理なく続く。

「すること」を目標にしているとこまめに終わりと満足感を感じながら生きられるので結果的に続けられるようにもなるのかもしれない。


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