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「自己批判性」と「自己肯定性」を区別する

人に怒るということを久しくしていないのですが、それは自分の中で2つの理由に纏められます。

1.  自責心から怒れない
2. 自分へのブーメランが怖くて怒れない

前者は他者の批判されるべき行動に自分の責任もあるのではないかという自責心があるからこそ安易に怒ることはできないのではないか、という複雑な心情で、後者は自分が今度間違った行動をしてしまった時に怒りがブーメランとなって返ってきてしまうのでそれを恐れるということにあります。

つまり、前者には自己批判性があり、後者には自己肯定性しかない。言い換えると前者は自分が傷つくことを恐れないが、後者は自分が傷つくことを恐れているということになります。

僕の意見では前者による怒りづらさに関しては許容できるが、後者による怒りづらさを感情として持ってしまった場合は自分で気づいて修正しようと思っています。

なぜなら自分が傷つくということは自分が修正される重要な自浄作用になるわけで、その契機を失うことはもったいないことだと思うようになったからです。

かつて自分は誰にも怒らない温和な性格であることを誇っていた時期がありますが、他者を怒らない代わりに自分のことも怒らないでね、という等価交換をしているだけだったので自浄作用を損なう後者の立場でありました。その立場のまま最初の会社にも入社したのですが、そこでも怒らない代わりに上司からも怒られない立場でありました。働きやすい環境ではあったのは間違いないですが、他者とのコミュニケーションの中で自分が変化するきっかけを失ってしまい、間違った判断をいくつも犯してしまったなと反省しています。

ここまでは単なる自分の後悔とそこからの気づきでありますが、今の社会を自分なりに見渡してみるとき、弱い人間を前提にして相手も自分も弱いし間違えるんだからお互いに(怒らずに)支え合って生きようという考えが浸透し始めているような気がしています。

これがあからさまなハラスメントを撲滅したりする効果はあるのではないかと思いますが、同時に自分以外の外からの指摘によって自分が変わっていく自浄作用もまた失われつつあると思います。

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