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実習指導で受けたスーパービジョンから学んだこと|森 和美

本エントリは、「SCAソーシャルワーカーサポートPJT」の一環で、メンバー各々が、自身の助けとなった資源について語っていくリレーnoteとして、横山さん、恒吉さん、中里さんに続き、今回は4人目のです。

今回は、11年前の、私が初めて受けたスーパービジョン、精神保健福祉士の養成校で行った病院実習で受けたスーパービジョンと、そこから学んだことについて書いてみます。

私は、その時の実習記録やメモ帳を、ずっと手元に置いています。私が実習指導をするようになってからはたまに見返したりもしたのですが、今回このnoteを書くために、初めて全部読み返しました。

手元にある実習記録。

もう、「ひえ~~~」と思うくらい未熟な自分と、厳しくて、でも仕事に熱いお世話になったスーパーバイザーの方がそこにいました。

これをオープンに書いていくのは、本当に自分でも未熟で恥ずかしいと思うのですが、これがなければ私は「ソーシャルワーカー」にはなれていなかったのではと思っています。3週間の実習での、2つの気づきです。よろしければ、読んでみてください。

1.私は何が分からない?

自分自身がソーシャルワーカーとして成長してきた中で(今も途上です)、自分の助けになった資源、というテーマで一番に思い出したのは、社会人5年目で行った精神保健福祉士の実習指導でした。

私は大学は心理学専攻で、精神保健福祉士をとるには養成校に通う必要がありました。通っていた大学も医療福祉系の大学だったので、福祉に関することは大学でも勉強しましたが、ソーシャルワーカーの実習に行くのは初めてのことです。

実習は2度ありました。1度目は地域活動支援センターのⅠ型、そして2回目が今日振り返っていきたいと思っている精神科病院です。

精神科病院実習は、夜間の養成校に通いながら、昼間は就労継続支援B型事業所でアルバイト始めて5か月ほど経った頃にありました(そのままこの施設に就職し8年半在籍)。

夏の施設での実習が楽しかったので、「病院かぁ…厳しいって聞くし大変なんだろうなぁ、、」と思いながら向かいました。病床数が多く古い精神科病院。楽しみより不安が勝る状態でスタートした実習でした。

実習担当は女性のPSW2人。私よりも10歳くらい上の方でした。施設ではアルバイトで利用者とのかかわりはしていたものの、精神科病院に入るのは生まれて初めて。教科書の知識はのみで、分からないことばかりでした。

毎日振り返りの時間が30分~1時間。この時点でまだ対人支援を始めたばかりの私は、このような形で「人とかかわる」ことが初めてな状態。実習を通して自分なりに感じたことをアウトプットするのですが、どれも浅く、何を見てどう感じたのかスーパーバイザーに深堀りされました。(この時は自分で能動的にというより、深堀されていると感じていました)

その時の私は、自分がどう感じたのか「反応」を答えることはできましたが、「考察」を上手く言葉にすることができませんでした。自分が何をどう感じているのかがそもそも分からないこともあったし、上手に言葉にして人に伝えることができない面もあったと思います。

それくらい、私は自分自身のことも、精神保健福祉のことも、ソーシャルワークのことも、まだ分かっていませんでした。

2.何がそうさせているのか。背景を知る

実習中、たくさんの「???」が浮かびました。福祉の世界に入るまでは出会う機会がなかなかなかったコト・ヒト・事象。特に急性期の病棟ではこれまで出会ったことのない疾患や障害、状態の方々も多く、ぱっと理解しにくいことで戸惑いました。

逆に特に気に留めていなかったコト・ヒト・事象から思ってもいないナラティブを知ることもあり、これもまた衝撃を受けました。

私は、実習記録で、最初こうして目にしたことの「事実」と「感想」しか書くことができませんでした。印象は強く残るけど、それが一体何なのか、自分1人では紐解くことができなかったのです。

そして、それらは何か指標となるマニュアルがあるわけではなく、患者さんやその場と間にあるものを理解していく過程でしか紐解くことができない、ということに気づいたとき、感銘を受けるとともに、揺らぐ自分を感じました。

そしてそんな頼りない私に対して、スーパーバイザーに割と容赦なく(笑)「それをもうちょっと具体的に言うと??」と問いかけられます。

ふとアルバイトをしていた施設でかかわっていた利用者さんのことを思い出しました。距離の取り方が難しくどう対応しようかよく迷っていた方でしたが、ふと「あれはなぜなんだろう・・・?」と考えました。

距離が近くなってしまっていたために私自身の余裕がなくなり、目に見える部分だけで考えがちだったその方について、登場人物から自分を排除し、その人のストーリーに想いを馳せた瞬間でした。

3.私の中にある「揺らぎ」と自己覚知

実習の中で一番辛かったのは、自分が揺らぎ続けていたことです。

実習で起こる様々なことに対して対応していくための知識や経験、考える力など、さまざまなものが不足していましたが、一番足りなかったなと思うのは自分の「心の体力」です。

当時、スーパーバイザーから感じたことや考察したことを毎日問われていましたが、そこまでとことん「問いを投げてもらう」経験がその当時の私にはそれまでありませんでした。

サポーティブなかかわりももちろん受けていたのですが、「問われる」ことに対しての(自分の心が反応する)衝撃が自分の中で強く、それに対応できないことに戸惑いを感じていました。

自分なりに言葉にしようとするのですが、どうもスーパーバイザーには伝わらない。何かが足りない。自分なりに実習で見えた人や環境やストーリーについて言葉にしましたが、それは響かないもののようでした。

ところが、ある日1つの出来事で、思わぬ形でその殻が破れることになります。詳細は書けませんが、どうしてもこれは我慢ならない!という気持ちになり、その気持ちを素直すぎるくらいに正直に感情とともに記録に書いてしまいました。

正直その実習先に対して失礼にあたることを含んでいたため、実習指導者を内心怒らせてしまったかもしれません。でもそこで、

「やっと言えたね」

と言ってもらえたのです。それは、私がスムーズにことが運ぶようきれいに見せようと意識した何か(=何か実習らしいことを言わなければ、というようなもの)ではなく、自分の考えをちゃんとお皿の上に載せることができた瞬間でした。

ずっと問われていた「なぜ?」の答えになりうるもの。

私はその時初めて、自分の気持ちの根本を拾って、その感情を出すことでようやく「なぜ自分がそう思ったのか」という実習で出会ったさまざまなエピソードを考察する入口に立てたのだと思います。

そして、それが難しかったのは、それまでの私自身の人生の中で、「自分の気持ちをありのまま言語化し、人に伝える」ということに対するハードルが存在していたからだ、と気づきました。

そのハードルは、自分自身を守るために、それまでの人生の中で身に付けてきた技でもあります。それが、ソーシャルワーカーとして仕事をする場面では、技ではなく障害となりうることなのだと気づきました。

適切に相手とかかわるための枠をつくりながらも、背景や構造を想像し、心の動きも大切にその人の人生の価値に沿って、専門職としてソーシャルワークをしていくこと。その道のりが「心の体力が必要なことだ」と思った理由です。

かつ、相手だけではなく、自分の背景にも想像力を巡らせること。感情と共に自分自身について(ありのまま)知ること。さまざまな引き出しを増やしていくこと。それは自分を大切に扱うことでもありました。

そしてその全てを、実践を通して返していくこと。この繰り返しなんだ、ということを学んだのです。

私にとっては未熟で酸っぱい思い出でもありますが、、実習中は苦しい思いが先立ちましたが、メタ認知獲得につながり、これまでずっと私を支えているものです。

今回は、この実習のことを言語化できたことが、私にとって大きな意味のあるものになりました。

また書きたいな、と思いました。
読んでいただき、ありがとうございます^^










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