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社会人としての人生に影響を与えた人編~聴覚障害のある社員インタビュー(前編)|CROSS TALK#2

パーソルダイバースでは、「障害者雇用を成功させる。そして、その先へ。」というミッションに共感し、一人ひとりが理解と協力を深め、制約に負けない柔軟なはたらき方を創出しています。

今回は、受託サービス第2本部 東京・千葉事業部 オフィスサービスグループに所属する藤田さん(2019年入社)と中村さん(2004年入社)にインタビューをしました。

入社年も年齢も異なる2人は、共に聴覚障害のある社員です。

藤田さんは入社前の実習で、自身と同じ聴覚障害を抱えながらも明るく前向きに仕事に取り組む中村さんに出会い、「こんな人と一緒にはたらくことができたら楽しいだろうな」と感じ、それが当社への入社を後押ししました。
藤田さんにとって中村さんは、社会人としての人生に影響を与えた人です

このインタビューを前編と後編に分けてお届けします!

前編では、きこえる人と、きこえない・きこえにくい人のスムーズなコミュニケーションについて、後編では、聴覚障害のある社員が長期的に活躍するための工夫を中心に紹介します。


藤田さん(2019年入社)
高校3年生のときに、突然耳がきこえなくなり中途失聴者に。その後、障害者職業能力開発校に通い、基本的なPCスキルやビジネスマナーを習得。就職活動では、障害のある人たちがどのようにはたらき、活躍しているのかに興味を持ち、2019年にパーソルダイバースに入社。東京千葉事業部 オフィスサービスグループに所属し、常駐先でのサービスデスクの運営メンバーとして活躍中。

中村さん(2004年入社)
大手学習塾に就職後、入社5年目で突発性難聴を発症し、その後退職。2004年、「もう一度、社会とつながりたい」との思いからパーソルダイバースに入社。入社後は総務部に所属し、事務業務や社内イベント、会社見学会の企画・運営、研修など幅広い業務に携わる。2019年からは、東京千葉事業部 オフィスサービスグループに所属し、常駐先で従業員向けのカフェ運営を中心に障害のある社員の育成を担う。

■インタビューについて
本インタビューは、会議室に集まりTeamsを使用して実施しています。
インタビュアー(写真左)が口元を見せながらゆっくりと質問をし、聴覚障害者である藤田さん(写真右奥)と中村さん(写真右手前)は、口元の動きや補聴器からの音声、そしてTeamsの文字起こし機能でテキストに変換された音声を確認しながら、双方が会話を通じてコミュニケーションをとっています。

インタビュー風景

きこえる人も、きこえない・きこえにくい人も寄り添いながら情報が伝わるコミュニケーションを


―最初に、どのようにインタビューを進行させていただくとコミュニケーションしやすいか教えてください。


中村)ありがとうございます!私たち聴覚障害者にとって、最初にコミュニケーションの仕方を尋ねていただけるとすごく安心できます。
共通の配慮としては、口元の動きがみえやすいように、ゆっくりとはっきりした口調で会話をしていただけると、理解しやすいです。
あとは、聴覚障害者でも一人ひとり、きこえ方は異なりますので、その時々で尋ねていただけると、とてもうれしいです。

藤田)私は、会議室のような静かな空間では、両耳に補聴器をつけていますので、そのままゆっくり話していただければ、きき取れます。きき取れないところは、Teamsの文字起こしを確認しますが、再度尋ねさせていただくこともありますので、ご協力お願いします。

―では、仕事中のコミュニケーションはどのようにしていますか?

藤田)私は仕事中、基本的に補聴器を外しています。その理由は、補聴器を通すとパソコンのタイピングの音や空調の音など、環境音や話し声などすべての音自体が非常に大きくきこえてしまい、それにより頭痛を引き起こすことがあります。そのため、仕事中は基本的に筆談やメールなど、テキストベースのコミュニケーションをお願いしています。

中村)私は普段から右耳に補聴器をつけています。仕事中も同様です。会話の際は、右耳できき取るようにしています。声をかけていただく際には、補聴器をつけている右側から、普通の声のボリュームで話していただくようにお願いしています。左耳に補聴器をつけていない理由は、左耳に補聴器をつけると雑音が入り、気分が悪くなることがあるためです。

“聴覚障害者×はたらく”価値観を変えた出会い


―それでは、藤田さんの今までと、入社のきかっけを教えてください。

藤田)高校3年生のとき突然耳がきこえなくなり、中途失聴者になりました。ショックで塞ぎこんでしまった期間もありましたが、同じ聴覚障害者や他の障害のある方々とのコミュニティに参加することで、様々なサポートがあることを知り、何か行動しなければと決意しました。

その後、障害者職業能力開発校に通い、基本的なPCスキルやビジネスマナーを習得しました。
就職活動では、障害のある人たちがどのようにはたらき、活躍しているのかに興味を持ちました。そのため、障害のある人が多く就業する特例子会社を就職先として選び、職場見学や実習に積極的に参加していました。

そして2019年、当社を見学した際に、研修担当の方から、「聴覚障害のある社員で面白い人がいるから会ってみないか」と勧められ、紹介された人が中村さんでした。
様々な職場を見学してきましたが、聴覚に障害を抱えながらも、周囲の人たちと楽しそうにコミュニケーションを取り、いきいきとはたらく人を初めて見ました。「この人と一緒にはたらけるなら、仕事が楽しいだろう」と感じ、入社を決意しました。

中村)過去にも聴覚障害のある人が入社してきましたが、コミュニケーションが難しくて辞めてしまう人も少なくありませんでした。藤田さんが入社したばかりの頃は、新しい仕事や環境に緊張していたので、「きこえないことがあれば、遠慮しないで、きき返して大丈夫だよ」と声をかけながら距離を縮め、何か困ったことがあればいつでも頼ってもらえる存在になりたいと思いました。

藤田)中村さんとは、入社後2週間の研修期間だけ一緒にはたらきましたが、職場に対する安心と心強さを感じ、その後、配属されたサービスデスクで業務をスタートすることができました。
それから5年経ち、中村さんは私が仕事をする上で師匠であり、当事者としても相談し合える良好な関係が続いています

藤田さんの社会人としての人生で、最初に影響を与えた人が中村さんだったんですね。

ー次に、中村さんの今までと入社のきかっけを教えてください。

中村)学生時代、教室で後ろの席だと先生の声が遠く感じることはありましたが、生活に大きな支障をきたすほどではありませんでした。社会人になってからは、大手学習塾に入社し事務をしていました。

入社して5年が経つ頃、少しずつ聴力の低下を感じ始め、人とのコミュニケーションが難しくなる日々が増えてきました。自分ができないことや、理解できないことが増えていくことに、戸惑いと辛さを感じていました。

そんなある日、左耳に受話器をあて、対応をしていたところ、突然相手の声がきこえなくなりました。驚いてすぐに病院に行き、突発性難聴と診断されました。

当時は現在より、障害者支援や就労についての情報が乏しく、20代半ばで自分の将来に途方に暮れました。
結局、「この職場で仕事を続けるのは、難しいだろう…」という思いが募り、やむなく退職を決意しました。
その後は、少人数の職場で社内のコミュニケーションが少ない単純な入力業務を選び、派遣やパートなどではたらきました。

しかし、30代後半で大病を患い、回復した後に、「もう一度、社会とつながりを持ってはたらきたい」と強い思いが湧き上がりました。そして、2004年にパーソルダイバース(※)に入社することを決意。この会社であれば、聴覚障害のある当事者として、他の障害のある人を助けることができるかもしれないと希望を抱いたのです。
※当時の社名:身体障害者雇用促進研究所株式会社

―入社から1か月ぐらいで、辞めようか悩んだ時期もあったそうで

すね。


中村)最初に配属されたのは、登録した派遣スタッフに仕事を紹介する事業部でした。そのため電話応対が多く、配慮をいただいていたものの、自己嫌悪に陥ることもあり、「退職したほうがいいのだろうか」と悩む日々が続きました。
そんなある日、思い切って人事の方に相談をしたところ、「中村さんに合う仕事を見つけましょう」と、心強い言葉が返ってきました。その言葉に勇気づけられ、前向きに考えることができるようになりました。

その後、総務部に配属され、15年間勤務しました。事務業務をこなしながら、社内イベントや会社見学会の企画・運営、研修担当なども任されるようになりました。直近5年間はオフィスサービスグループではたらいています。

コミュニケーションに対する不安は常にありましたが、周囲のサポートを受けながら、その不安は楽しさへと変わっていきました。自分には縁がないと思っていたマネジメントの役割も経験させていただけるようになりました。
あのとき、人事の方がかけてくださった言葉は、私のキャリアを切り拓く原動力となりました。

次回後編では、藤田さんと中村さんが所属するオフィスサービスグループの業務について、そして聴覚障害のある社員が長期的に活躍するための工夫を中心にお届けします!

次回もご覧いただけるとうれしいです😊


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