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世界の半分イスファハーンに佇むアルメニア教会(前編)

ペルシアことイランの宗教はイスラムの少数派シーア派一色だと思われがちだけれど、実はシーア派以外にも様々な宗教の人々が住んでいて、それぞれの信仰や風習や言語などをしっかりと保っていることは、あまり知られていないかもしれません。

現在のイランそしてかつての広大なペルシア帝国にイスラムが入ってきたのは、6世紀前半のことですが、文明の十字路と呼ばれたこの一帯には、(たとえば砂漠日記で紹介したルート砂漠に眠る9千年前の文明など) 様々な地域に様々な古代文明が栄え、様々な宗教が行き交ってきた長い歴史があります。たとえば世界最古の宗教とされるミトラ教や、時の神を信じた古代のズルバン教や、世界最古の一神教とされるゾロアスター教や、東方キリスト教や、ユダヤ教や、はたまた仏教まで、様々な宗教の人々が宗教の違いを超えて互いへの礼を尽くしながら、文明の十字路たるこの地で自由に暮らしてきたことが、ペルシアの地に様々な文明が栄え、アケメネス朝ペルシアのような大帝国が生まれたひとつの歴史的背景だったとも言われています。

イスラム以前にペルシアの地に暮らしていた様々な宗教は、今もイラン(ペルシア)の各地に残っています。有名なところでは、ゾロアスター教徒たちが古都ヤズドをはじめとする多くの町で暮らしていて、拝火教神殿で今も聖火を燃やし続けているし、テヘランの旧市街をちょっと気長に歩いてみれば、点々と散らばった東方アルメニア正教の教会や、アルメニア教徒たちが家族でやっている美味しくてノスタルジックなお菓子屋さんやらコーヒー豆屋さんにも遭遇できます。またアルメニア教徒の他にもアッシリア正教というアラム語系の少数言語を話す東方キリスト教の人々もよく見かけます。

アルメニア教徒はクルド人やアゼルバイジャン人のようにペルシアの最も古い諸民族のひとつで、紀元前301年のローマのキリスト教国教化に先立って最初にキリスト教に改宗した民族だといわれています。伝えられているところでは、アルサケス朝パルティア王国のアルメニア地方の支配者の改宗をきっかけに、同地方のアルメニア人がミトラ教などの古来の諸宗教から東方キリスト教に集団改宗したということです。

アルメニア教徒たちの歴史をさらに辿ってみると、サファヴィー朝時代(1501-1736)にアゼルバイジャン地方からイスファハーンへの移住が推進され、世界の半分と謳われたこのサファヴィー朝の首都にアルメニア教徒の居住区(ジョルファ地区)が置かれたことが有名です。

当時、アルメニア教徒はサファヴィー朝イランと戦っていたオスマン朝下で集団殺戮などのひどい迫害にさらされ、イランに亡命してきた人々が多かったことから、古来ペルシア人と認識されていたアルメニア教徒への保護政策として、サファヴィー朝が彼らの移住政策を進めた歴史があります。現在、(アルメニア教徒の歴史を示す最も充実した)博物館が併設されているイスファハーンのヴァンク教会には、この歴史を示す史料として、サファヴィー朝のアルメニア教徒に対する保護政策の勅令の写本が展示されています。

何年か前にイスファハーンに住む友人を訪ねて遊びに行った時、彼女の家はちょうどこのサファヴィー朝時代から続くジョルファ地区の近くにあって、古い小路や水路のある静かな一角を通ってこのアルメニア地区に入って行くと、あちこちに教会や修道院があって、通りでおしゃべりに興じている人たちも町並みも、ギリシアやシチリアを思わせるような独特な佇まいが素敵でした。(続く)


(Copyright Tomoko Shimoyama 2019)

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