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超人が視界に入っていると、自分の底辺感を忘れる事がない

 私の周りを眺めてみると、日本国内のみならず、海外でも通用するような結果を出している人々は、並大抵ではない努力をしている。「朝焼けのビルのシルエットを見て涙が出る」ほどの努力をした友人は世界戦で認められた教授として、今も奮闘しているし、またある友人は研究室で鍋パーティをやっている時にも、酒は飲まずに留学への準備の為のリスニングを行いながら参加していた。大谷翔平も、殆ど飲み会には参加しないらしい。

 大学の部活終わりに飲みに行った時のこと。上級生が主に支払い、下級生が端数を支払うシステムだった。ある飲み会で、女将さんが勘定を読み上げた瞬間、ある先輩が「上級生は3000円で、下級生は残りを320円ずつ」と一瞬のうちに計算してしまった。何が起こったのか全くわからなかった。こちらは計算が正しいかどうかの確認もできない。この時、中高一貫校の恐ろしさを知った。自分が呆気にとられていると、そばにいた先輩が、「あぁこういう計算したんよ」と解説してくれた。自分はその解説の意味もわからなかった。ただ酒に酔っていた為と信じたいが。その先輩は公立高校の出身だった。結局優秀な人は、どこに行っても優秀なのだ。中高一貫校は、友達付き合いが長く続くと言うメリットがあるみたいだけど。

 このような超人達の多くは、おそらく勉強に対して努力したという認識があまりないだろうし、むしろまだ努力が足りないとさえ思っているような気がする。前回1万時間の法則について書いたが、軽く1万時間を超えて今も学習を続けている。


 最近東大卒の悲哀を書いたNote が面白かった。妻は「プライドが邪魔をしてるだけ」と一刀両断だったが…(このような快刀乱麻ぶりが妻の面白いところ)

 私が、この東大卒の方のNOTEに深く共感するのは、このようなスーパーエリートが割と近い位置にいる為に、つい自分の置かれた立場と比較してしまうからだ。実際私も、研修時代に記憶を失うほど消耗し、ドクターストップで入院になった事がある。食事を食べられなかったので点滴に繋がれ鎮静剤を打たれたらしい。せん妄になって自己抜去した点滴と、シーツが血まみれになっていた記憶はある。それだけ焦燥感は強かった。

 今でも自分の周りにはこのような超人がウヨウヨしている。そのためいつまでも自分は底辺であると言う認識から離れることはない。「いつでも心に底辺を」中村淳彦氏が率いるチーム底辺にシンパシーを感じるのも、このあたりが原因かもしれない。

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