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院内見聞録 糖質制限とふたりの町田

私事ですが、本日54歳になりました。

実をいうと50を過ぎたころから、少しずつ54歳の誕生日を意識するようになった。というのも、はたちぐらいのときに見てもらった占いで「54歳から運がよくなり、幸せに暮らせる」と言われたからだ。当時のわたしは冗談じゃねぇと思った。54なんて初老じゃねぇか。そんなに待てるか。しかも、自分のことは運のいい人間だと思っていたし、何かやってやると思っていたから54歳まで何もないなんて許せないと思った。

そして今、54歳になってあらためて思うのは、まったく初老という気はしないし、何ならまだここから新しいこと始めるだけの気力は残ってるということ。あと、社会的に成功してるとは言い難いが、まあまあいろいろやってきたね。そして、ここから運がよくなるとしたら最高じゃねぇか。というわけで、2020年の日記の続きです。


2020年12月22日

吉祥寺に「82年生まれ、キム・ジヨン」を見に行った帰りになじみの喫茶店によってがんの話など。アスコルビン酸(ビタミンC)の大量摂取をしている話をすると、店主マダムも駅前のクリニックでビタミンC点滴をしているとのこと。(彼女は対コロナやインフルへの免疫力アップのため)

なんだってーー!  点滴のほうが効果があるのは知っていたが、どこでやっているのか積極的に調べてはいなかったので、いい話を聞いた。このように必要な情報は必要なタイミングでもたらされるものなのである。近いからその足で行くという手もあるのだが、午後からジムの予約があったので電話番号だけ控えて家に帰る。

そんなわけで現在は軽めの糖質制限をしている。ビタミンCの効きをよくするためだ。がんは糖分が好きなので、いくらビタミンCを大量に取っても、糖分もたくさん取っていると完全にマッチポンプ。あと、緊急事態宣言があった4月~5月に一気にお腹周りに蓄えた脂肪を多少なりとも減らしたいという欲もある。とは言え、やっているのは甘いものを控えるとか、ご飯はなるべく1杯しか食べないとか。

で、今朝は起きてから、アスコルビン酸を溶かしたお湯を飲んだだけで映画に行き、昼ご飯を食べる間がなかったのだけど、さとうの前を通ると3人しか並んでなかったので、メンチカツを買って食べながら喫茶店に行き、そうこうしてるうちにジムの時間が近づいてきたので、家へ帰って支度だけして、ちゃんとしたお昼ご飯をたべないままでボディバランスのクラスに出たのだった。

そして、それはお風呂に入っているときに起こった。ぼんやりと本業とは別にやっている派遣仕事のことを考えていた。頭の中に一番仲がいい同僚の顔が浮んでいるのだけど、え~っと、彼女なにちゃんだっけ? 名前が思い出せない。

あれ? 試しに一緒に働いている人の顔を順番に思い浮かべてみる。うそっ、誰一人として名前が思い出せない。何これ、怖い。頭の中から文字がすっかり消えてる。怖い、怖い、怖い。映像は浮かぶ、だけど名前の領域は完全に空白になっている。手探りで探そうとするのだが、何も引っかかるものがない。もしかして初期の認知症ってこんな感じ?

そこで最近できた推し(*1)である町田くんの顔を思い浮かべる。彼なら思い出せるはず。ん? 名前何だっけ? 推しの名前が思い出せないとかある? 次に赤楚くんの顔を思い浮かべる。あ、あー ア… ア…カ…ソ? こっちは思い出せた。しかし、この時点で漢字は浮かんでなくて音だけ。あ、そうだ。マチダ… マチダ・ケイジだ! よかった。思い出せた。(いや、間違うてるやん)次にふとマチダ・マチゾー(*2)という音が浮かんで気づく。町田くんはわたしにとって二人目の町田だということに。

その後、家に帰ってご飯を食べたら、マチダ・ケイジ(これ、松田ケイジと混同してたね)ではなく、町田啓太だということや同僚の名前を全員一気に思い出した。おそらく、一時的に脳に糖が足りてなかったことが原因だろうと思う。やはり何事もやりすぎはよくないし、年を取ってから厳格な糖質制限をするとボケる可能があるなと思った。やっぱり根を詰めて仕事するとチョコレートを欲するのには根拠があるんだな。


  1. FBのログによると12月18日に「チェリまほが好きすぎて、ついにわたしのスマホの壁紙が町田くんになった」と書いているので、この頃から緩やかな推し活が始まった模様。その後、どんどんはまっていく過程はジェーン・スーのコラムを参考にされたし。ほぼ同じ軌道を描いていた。

  2. 若い方はご存じないかもしれないので補足しておくと、町田町蔵というのは作家、町田康のパンク歌手時代の名前です。

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