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ありがとう。

保育園で働いている。
が、
私より子どものほうがよっぽど人間的なポテンシャルがあると
いつも思うので、教育 という言葉を聞くとうさんくさく思う。

思えば、ずっと 教育 ということよりも、同じ人どうしいかに対等でいられるかみたいなところにどうしても重点を置いてしまうので、苦しく感じることもあった。

去年一年、夕方のパートであったが、ある子のおかげで、問題なく一年が過ごせたと、ずっと感謝している子がいた。

その子は
いつも小さい子がわがままを言うと諭し、
誰かがケンカをすれば仲裁し、
何か変わったことをするときは毎回許可を得に来て、
やることがないと遊びを考え出し、
いつも楽しそうで、明るい子で
大人がとけないパズルがとけ、
大人が折れない折り紙が折れたので、
いつもパズルをやってもらい、
小さい子にせがまれた折り紙をかわりに折ってもらっていた。

その子がいたから、
ぶっちゃけ夕方をどう過ごしたらいいかわからなかった私が、

なんとか「ああ、細かくいえばここはこういう風に過ごす場なのか」とわかって、「保育園という場が私に与えた役」をやることが、少しずつできるようになった。

解かなきゃしまえないパズルも、
折ってと言われても本に何が書いてあるかわからない折り紙も、
全部やってもらっていたが、
私も一年経つうちにパズルも1つの解法だけだが、解けるようになり、
折り紙も少しずつ分かるようになってきた。

私は目を見て挨拶が苦手で特に大人の、
だから、私と違って、どんなときにも均等に挨拶してくれる人は、とてもうれしい。
だから「あっ」と見つけると、遠くからでも率直に挨拶してくれるその子に、とても感謝していた。

もう卒園するその子に
なにか一年のお礼をしようと、

そういえば、昔、折り紙のコマにリボンをつけてメダル状にしたのをもらって、私も息子もうれしくて、大分長い間遊んでいたのを思い出して、その子に作ってあげたいな、と思った。

そしたら、その子だけだと申し訳ないので、全員に作ることにした。そしたら、すぐに濃厚接触者になって、自粛して、

気づいたら、一日中家にこもってただただメダルを作っていた。

メダルづくりは楽しくて、折り紙は真四角なのに、半分に折れないとか角が合わないとか、この紙使うと完成度高くなるとか、面白くなって、だんだん増えた。

今までお世話になった2つの園にもあげることにして、そのうちひとつは、在園児卒園児合わせて全員に折ることになった。1年前に、演劇の公演で、「衣装に使った残り」とかいって押し付けられたリボンも、とってもステキなメダルのひもになった。

作った数は 40個。
ありがたいなあ。感謝の気持ちがどんどんと増えた。

卒園しない子にはリボンをつけずあげた

でも、その子に、直接気持ちはいいたくて、
「ありがとう、あなたのおかげで私は1年過ごせたよ」

とは言ったものの、目を見ては言えなかった。

その子にメダルをあげたら、
「ありがとう!」
と、その子は私の目を見てニッコリ言った。

ああ、あなたにはきっと一生かなわない。


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