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私的感情
最近になって私個人の悲しみがわかるようになった。これまで嘆いたり泣いたことはあってもそれは誰かのためや状況にであって、自分のためではなかったと思う。
自分の気持ちがわからない。
これは幼いころの私が抱えきれない寂しさや悲しみに直面し、自分が壊れるのを防ぐために、自分自身で築きあげたトリックだ。
あまりに巧妙かつ堅固に作り上げられているもんだから、いつからそんな風になったのか覚えがないし、その事実や感情そのものまで到達するのに物凄く時間がかかった。
感じないことは時に便利だ、特に痛みや悲しみといった辛いものは。でも消せるわけではなく、やがて悲鳴のような叫びとなり、思春期ごろから拒食や不眠、社交不安等の症状として現れていたんだとすとんと腑に落ちた。
これまで途中で途切れたりしながらも、20代から20年間、カウンセリングを受け続け、今のカウンセラーが3人目で4年目となる。
ここまでして必死に何をどうしてきたのかわからないことばかりだったけど、最近になってようやく、あれは記憶がないころの体験を箱庭や言葉や身体感覚で消化して、生来自分のもののはずの感情に手が届くまで無我夢中で走ってきたんだとわかった。その費やした恐ろしい程の時間とエネルギーには我ながら感嘆する。
そして悲しみがやや淡くなるとともに次は怒りが噴出してきた。
感じられるようになったと思ったら、今度は感情の嵐に圧倒されて消耗するわ発熱するわのてんやわんやの大祭り
基本的に人間の気持ちや性格、人生や環境はてんやわんやなのかもしれない。
その不確実性があまりに不安で全てをコントロールしたくて感情なんてない方が楽だと思ってきたけど、それは生き物としてあまり不自然すぎるから、ある種の病でバランスをとる必要があったのだろう。
にしても、これから私はどうなっていくのか。
どんな感情を経て、どう変化していくのか。感情のバラエティや濃淡とともにこのうすら鈍い身体感覚(アクセスできない足とか)も変わっていくのか変わらないのか?
ここまでくると、もう病んでいる期間が長すぎて、変わることイコール治ることでもないし、治ることだけが幸せな気もしないので、正直どうなるのがいいのか、どうした方がいいのか本当によく訳がわからない。
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