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写真との出会い

ありがたいことにみんなのフォトギャラリーに投稿している写真を使用してもらえる回数がここ最近ぐっと増えてきた。


基本的に私自身が良い意味でも悪い意味でも心が動いた物に対してシャッターを切っているのだけれど、私の心が映ったものが知りもしない誰かに届いていることがとても嬉しい。それだけではなく、ほんの少しでも良いと思ってもらえている事がこれはもう言葉にならないくらいに嬉しい。


改めて写真を使ってくださった皆様、本当にありがとうございます。



私が今のカメラを手にしたのは2016年の秋頃。

物心ついた頃からディズニーが好きだった私はずっと一眼レフでパークの写真を撮ることが夢だった。


高校生一年生の頃、初めて自分用のカメラを手にした。安いLUMIXのデジカメだった。


前に話した事もあるが、うちは貧乏だったため高価な一眼レフなどとてもじゃないが自分の財布からお金を出して買うことは出来なかった。


安いカメラではあったが、私は自分のカメラを手にした事がとても嬉しかった。主にキャラクターの写真、パークの中の景色、花。目についたときめくもの全てをとにかくカメラに納めた。


ただ人間とは非常に欲深い生き物で、デジカメを手にしてから三年が経つ頃、やはりどうしても一眼レフを手に入れたいという気持ちが強くなった。


高校を卒業して上京し、それまでアホみたいに通っていた舞浜にパッタリ行かなくなった時期があった。


上京してから目紛しく環境が変わり正直それどころではなかったのだ。もちろんカメラの事なんて頭の片隅にも無かった。


その期間はとにかく必死に勉強し、私は無事に社会人になった。



しかし、体調を崩し早期退職。


私が体調を崩したのと同じ頃に一緒に住んでいた恋人も心身ともにやられ新卒で入った会社を退職したため、二人でドン底を見る羽目になった。


貯金も底をつきそうになりながらも何とかただ生き延びるだけの生活を送っていた。


お金は病院と薬に持っていかれ、身も心もボロボロ。


その間沢山の闇を見た。日雇いなどで食い繋いだ事もあった。私は今も対して変わらないけど…!



お金がなく、毎日単品の炭水化物でお腹を満たす日々。もちろん遊びに行ける訳もなく、その時の私の唯一の娯楽がディズニー映画を観ることだった。

ラッキーなことに子供の頃から沢山のディズニー作品のDVDやVHSを買い揃えてきた。家にプレーヤーはあったので、お金をかけることなく沢山の映画を観る事ができた。もちろん何度も何度も繰り返し見ているので展開もセリフも覚えているのだけど。

でも、そういうところは私の障害的な頭のおかげで気にせず楽しむ事ができた。むしろ何度も観る事でもっと愛が増すほど…


そうなると今度は自然とパークに行きたいという欲が出てくる。


ここで私は決めた。


"一眼レフを買ってパークに行こう!"


そのためにお金を貯めた。ポンコツな身体を必死に動かしお金を稼いだ。


ご縁があって理解がある職場に出会い、ある程度貯金ができるところまで生活を立て直す事ができた。


そしてついに2016年の秋。Canonの一眼レフを手に入れたのだ。
その当時ですら型落ちしていたEOS Kiss X7。これが私と今でも連れ添う相棒との出会い。




その年のクリスマスに相棒を持ってはじめてパークに行った。

見える世界が一瞬にして変わったのだ。

自分が見ているキラキラした景色や思い出。その全てが綺麗な形で残せることに非常に感動した。


それはもちろんパークの外でも。


その辺に咲いてる花、イルミネーション、何気ない日常と化した風景。その全てが何倍も輝いて見えた。

それはもう楽しくて楽しくて無我夢中で撮りまくっていた。

どこに行くのもカメラと一緒。

日常の中に写真という存在があるだけでこんなにも楽しいものになるのか、と。



そうするうちに、だんだん自分の写真を誰かに見てもらいたいという感情が芽生え始めた。

インスタグラム、Twitter。当時やっていたSNSにとにかく写真を載せた。


それなりに反応を貰うためにはレタッチを上手く使いこなさないといけないと学んでからは、レタッチも勉強した。(これは今でも日々勉強中だよ)


元々周りの人達と違う感性を持っているな、と思いながら育ってきたので"色"に関しての拘りは人一倍あるつもりだ。

何気ない毎日の景色でも自分の心情に合わせて本当に色が入って見えるのだ。
悲しければ色は消えるし、楽しければ鮮やかに見える。それも非常に濃く。


私にとってレタッチとは、自分の見ていた色を写真に落とす作業だ。だから出来上がった作品たちは全く系統が異なる事が多い。



画像1

春の日差しに誘われてふんわりキラキラ咲いたチューリップ




画像2

もう用は無くなったと悟り切なげに見える空き缶



最近は世に受ける写真に寄せることに必死になる事もあるけれど。

それでも自我を消すまいと、一つの写真から二枚の作品を作る事もある。

私はカメラ、写真に出会い、本当に心が豊かになった。何気ない毎日がとてもキレイな絵になるという事にも気付けた。

それは景色だけではなく生き物も。

生きているものは本当に尊くて美しい。

きっと当たり前の事なのに、私はカメラに出会うまで気付かなかった。

私はこれからも私が見ている景色を、世界を、誰かに届けるために撮り続ける。

あなたが何気なく見てる景色もこんなに美しいんだよ、と伝えるために。





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