幸せと絶望

「ああ、幸せだな」と思うと、それと同時に絶望を感じてしまう。
「でも、この幸せには終わりが来る」

幸せな時は幸せ、そうじゃない時はそうじゃない、でもまた幸せが訪れたらそれを味わえばいいじゃない。

とは思えないのが私の大きな問題だ。
幸せは一瞬、絶望は大半、と感じてしまうのだ。
「終わらないで幸せ」と思っているわけだ。全くもって贅沢な望みだ。

私に必要なのは、小さな幸せを大事に抱えて、感じるという心意気だ。

でも思えない。
悲しい顔も、言葉も、行動も、気持ちも、
全部嫌だ。
辛そうにしている人を見るのが嫌だ。
笑ってくれよ、嬉しそうにしていてくれ。
そして私も、ずっと笑っていられたらいいのに。
何も失わずに、ずっと。

まあ、だからこそ、私の原動力があるわけで、これでいいのか、と無理やり解釈もできる。

できるだけ幸せを終わらせないように
みんなが苦しまないように
そう生きようと思えるのはこの思考があるからで。

でも、私はあんまり大きな幸せを享受したくない。変だって?ワシもそう思うわ。
ほどほどの幸せでいい、大きな幸せが永く続くわけないし。どうせ絶望感じるだけだし笑

その代わり、私の周りの人が大きな幸せを必要としているなら、私は幸せがその人に訪れるように頑張る。

時々、いい人ぶってるだとか、偽善だとか、そう思われたりするけど、まあいいよ、そう思ってくれ。
この世界は結果が大事なんだろう?
ワシが誰かを幸せに出来たらそりゃ悪いことじゃないだろ!笑
褒めて、とは全く思ってないけど、
私の行動が誰かに認められたら嬉しいとは思ってる。人間ぽいだろ😎
承認欲求満たしたいだけじゃねい?そんなみんなあるやん。人間だもん。

わすれちゃならん、ワイらは人間なんだ。
欲にまみれてるけど、理性があって、イカした脳を使って人と繋がって頑張って生きるん。
だから、幸せになりたい、とか、承認欲求がある、とかあって当たり前なんだよ。


ただ、やっぱり、ホラー映画とかサスペンス映画とかは苦手。
苦しんでる人を見たくないのは事実なんです。

ひろゆきさんが前言ってた。
「生きる意味がわからなくて気力がないなら、人のために生きるといいっすよ」的な。
なるほど!って思って私もそうしようと思って生きてます。

そして私が師だと勝手に思ってる方にもだいぶ影響されてるけど、それはまたいつか。

これ、現実世界で言うと本当に胡散臭くて、机上の空論並べてるようにしか思えないだろうから言わないけど、結構まじで思ってます。

とにかく!人のためになるような人間になるように精進しようと思う。

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