『しまなみ誰そ彼』を読んで。

昨日発売の『しまなみ誰そ彼』4巻を読んだ。綺麗な終わり方ではなかったと思うけど、作者からの「今の世の中の現在地はこんな感じだよ」というメッセージなのかなあと。

読んでない人がそんなこと急に言われても分からないと思うのでちょっと書くと、家とか学校でも自分の話ができなくて「沈黙は是」なんだろうか、と思う性的マイノリティの少年が主人公で、そういう人が集まる地域のコミュニティと出会って、そこを中心に群像劇的な面もありつつ話が進んでいくお話。

最近性的マイノリティはよく話題になってて、ニュースで見たりとか会社の人権研修で取り扱われたりとかする。そうは言っても、身近でないとなかなか考えるのは難しかったりする。私もそうなので、感想も兼ねて自分に置き換えて考えてみようと思う。

性的マイノリティの割合は7.6%、という調査結果がある。左利きはだいだい10%なので、それよりちょっと少ないくらい。私は左利きなので、いわば「利き手的マイノリティ」なわけだ。かつては左利きは差別対象であり(今でもそう思っている人はいるかもしれないが)、それもあってか右に矯正されることが多かった。私の親にそういう意識があったのかは知らないが、実際私も字と箸は右に矯正されている。それでも他のものは全て左手で扱うので、何かと不便なことはある。中でも、自分が左利きだという理由で思い出に残っているのは、小学校の修学旅行での出来事。旅行先が伊勢志摩で、真珠の取り出し体験があった。真珠の取り出しというのは、金属の棒状の器具で貝の殻を開けるので、当然私は左手で器具を持った。そのときに開け方を教えてくれるおばちゃんが唐突に私の手元を見て「あんたぎっちょかい」と言ったのだ。「ぎっちょ」という言葉の意味は知っていたけど、左利きであることをそういうふうに言われたことがなくて、本当になんて言ったらいいのかわからなくて言葉が出なかった。おばちゃんにとっては無意識的に出た言葉だったんだろうけど、私にとってはそんな軽いものではなくて、なにか自分がいけないことをしていると突きつけられたような気持ちになった。

一方で、左利きにはなんとなく「かっこいい」イメージがあると思う。個人的には左投げのピッチャーが重宝されたりするのでスポーツの影響かなあと思ったりするのだけど、生きてて「左利きへの差別だ」と本気で思うことは、少なくとも私はあれ以来長らくない。

何を言いたいのかというと、こうやって私が自分が利き手的マイノリティであるという話ができるように、みんな何かのマイノリティとして生きているということだ。性的マイノリティじゃなくても、なにかしらはあると思う。AB型もそうだし身長めっちゃ高いとかもそう。でも、それらが差別されてるかというとそんなことないし、左利きも昔は差別されてたけど今はそんなことない。だから、性的マイノリティだって差別されないようになると思うし、そうあるべきだと思う。

数あるマイノリティのひとつでしかないのだ。だから、そういう扱いになってほしいと思う。「私性的マイノリティなんだー」「まじかよなんかレアキャラっぽくていいなーでも私も左利きだしー」、とまではいかないかもしれないけど。

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