人生に迷ったアラサーの自己肯定感の高め方 前編
とてつもなく自己肯定感が低く、大抵の人からは面倒くさがられます。
こんにちは、ぺりこです。
そんなワタシが普段どのように社会とかかわってきたのか、そこで気が付いたこと、悩んだこと、大変だったこと等を簡単に書きたいと思います。
①自分を否定しすぎて自己嫌悪のループに陥入る。
そもそも「自己肯定感」とは何か。よくわからないので調べました。
自分の在り方を積極的に評価すること。自らの感情や存在意義を肯定できる感情。などのことを言うらしいです。簡単に言えば「ありのままの自分を受け入れる」ってことですかね。
自己肯定感が低いと、何が起こるか。
ワタシの場合は良い評価をもらっても「そんな評価をもらえるに値しない。だって頑張ったって自分が思えない」と相手の気持ちを無視して落ち込み始めます。これ、ちょっとくらいなら「向上心あるんだね」で終わる話なんですけど、ワタシの場合終わりません。
「自分はまだまだ何もできない」「何故そんなに良い評価をしてもらえるのかが謎すぎる…」「これはもっと頑張らないといけないことなんだ…」「なのになんで自分はできないんだ…」と負のループです。
あーほんと面倒くさいですね、苛立ちますよね。
でも、これが自己肯定感の低い、ワタシの考えかたなんです。
②何故自己肯定感が低くなったのか。
何故こんな考え方になってしまったのか…、家庭環境や周りの人間関係が大きな要因になったと考えています。
◆母親の求める子供になろうとする。
幼少期、体が弱く入退院を繰り返していました。それにおっちょこちょいでその辺で転びまくってあざだらけ。恥ずかしながらワタシが虐待されているのではと疑われるほど転んでケガもしていました。その為か、「風邪ひくからスカートはダメ」夏場でも「転ぶからサンダルはダメ」と当時着たかったものを否定されてきました。
そして親の与えるものに袖を通す、それだけで母が何も言わなくなり納得してくれるのです。
その後の進路にしても、絵の勉強がしてみたいな…といっても「それで本当にいいの?何か資格があったほうが絶対にいい。これはあなたのためにいっている。でも、決めるのはあなただけど」と言われてきました。
ことあるごとに親の顔色をうかがってきたワタシは「母親が納得する答え」を無意識に行動するようになるのです。
親が色々言うのは全部私のため。それは、きっと間違いではないんだと。
③自分のことを自分で決めることができなくなる。
その後も親の顔色をうかがいながら生活してくると、がたが出てきます。
自分のことを決められなくなるんです。どんな髪型がいいのか、どんな服が着たいのか、どんな風に働きたいのか、いろんなことを決められなくなります。そうなったまま社会に出たもんだから、大変です。
会社の同僚とご飯に行っても、とりあえず周りに合わせる。仮に自分が食べたいものがあったとしても、自分の中で「なかったこと」にするんです。相手に合わせたら、相手もうれしいんじゃないかって勝手に決めつけて。なんならそれが協調性ってもんじゃないの?と思っていました。
でもそれが違う。間違っている。
相手が求めていることにただ無意識に合わせることは協調性とは全く違うんです。これに気が付いたの、本当ここ数年です。恥ずかしい…。
「相手と自分が同じものを求めていた」ならいいんです。問題ないんです。「自分は求めていないのに、同じものを求めているふりをする」これが間違っていました。
ちょっと長くなりそうなのでこの続きは別記事で。
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