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無くした尻尾は何の代償

ミルクさんにはじめてメールで問い合わせをした時は本当にビクビクものでした。
近年、こんなに勇気を振り絞ったことはありません。(笑)
孤高という言葉がピッタリの研がれた刃先のような人だとイメージしていました。
けれどもその人から紡がれる歌はとても静かな愛に満ちていました。
大げさに著すこともなく、言葉の奥底に灯る優しさがありました。
きっと普通ではない厳しい現実を生きてこられたが故の、人やものに対する思いやりのようなものであると理解しています。
平凡な日常を送る中でも多くの人にも出会いますが、「群れない」「媚びない」「ぶれない」を具現化したような人に逢うことはありません。こんなにも同調が求められる世の中で、殆どの人は流されてしまうのでしょう。
何かを頑なに心に持つ人は、鋼の意思と共に信念の旗を大地に突き刺しています。

塔和子さんへのリスペクトや恩師とのエピソードからも、ミルクさんが如何に純粋な探求者であるかが想像できます。人の奢りを取り払い、言葉や歌のあるべき姿を追い求める何かの生き物と言った方が的確かもしれません。

もう一つの手足とも言われる便利な尻尾を、私たちは進化の過程で手放しました。
それは重大な決意であり、新たな覚悟でもあります。
進化した私たちは過去に尻尾が掴んだ果実の感触や陽が射したときの温もりを、きちんと代弁できているのでしょうか。
それとも「不要な感覚」として忘れ去ろうとしているのでしょうか。

SNSを起点に蔓延る「自己中心的」な欲望の殆どを、進化の前の私たちは持つことがありませんでした。すべての事象を「自分」を排除した状態で見ることができていたと思います。それは何ものにも代え難い、宝物のような感覚でしょう。ミルクさんはその感覚を少しでも取り戻すべく努力しようとおっしゃっています。
もはや短歌に留まらない、壮大なお話になっているかもしれませんが、そのような信条がなければ到底優れた歌など詠めるはずもないということなのでしょう。

ことさらに弱さ脆さ、耐性のなさを強調して、何でもかんでも個性個性と言い訳をする現代人がミルクさんに「自己愛」の権化と揶揄されるのも理解できます。

「尻尾の代わりに託されたもの」
そのことを常に心に留めて短歌に取り組むことが、いつしか自分の雑念を漉してま新しい感じ方を導く唯一の方法なのだと信じています。そしてそんな気付きをくれたミルクさんとの出会いこそ、私にとっての大切な宝物なのです。

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/

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