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くだらない話をしたいよね、きみたち。

先日、「言葉を扱うことはとても繊細な行為だ」という、まあそんな綺麗な言葉に纏めてはいないが要約するとそんなことが言いたかった記事を上げた手前でこんなことをタイトルに上げるのは可笑しいのだが、許してほしい。これも本心なのだ。

一つ一つ、想いが込められて届く言葉には、こちらも真摯に思いを込めてお返しするのが筋だと思う。
そんなことは大前提だとお互い分かった上でくだらない話もしていきたいんです。
餅を食べたいが噛むのが面倒臭い、とか、正しい答えを求めていない空っぽの会話で、人との距離をはかりたい。
つまり脳死でわかり合いたい。
控えめに言って、こちらをメインとしてわかりあいたい。だいぶ控えめだ。最初からこれを求めることはしないが着地点としてこうありたい。ほら、こうやって自分の一言にフォローを入れることによって今わたしは誰が読んでいるかわからないこの記事の読者に対して気を遣っている。ほら脳みそを使っているじゃないか。だめだだめだ。四肢を投げ出してジタバタしたい気分だ。やめだやめだ!もう、あれだ、友達が遊びに来て「足崩していいよ」って言うときと同じ感じ。マジ、正座とかせんでいいから。ここぞというときに足崩して。令和だから。「足崩していいよ」を号令にすんの、もうやめよ。
よくわからんオフィスビルが立ってる敷地内で白い服着てダンスしようぜ。
いま藤井風のMV見てる。
あー意味わかんねえ

こうやって頭を使っているうちは一生、わかるとわかりあえないの壁を越えそうになったりならなかったりを繰り返すんだ。
だからつべこべいうな。

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