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大川小学校

宮城県沖地震というのは大体30年周期でやってきます。
直下型地震のため被害が大きくなりがちで、有名な所では1978年6月のものがあります。
ビルがぺしゃんこになった映像に驚いたものです。
コンクリートブロックの倒壊で亡くなった人が多く、社会問題になりました。
耐震基準が強化されたのもこの時がきっかけです。

2008年には前回から30年が過ぎ、いつきてもおかしくないと言われるようになりました。今の南海トラフや関東大震災のような感じですが、それらよりも周期が短く確実性が高いので、東日本大震災の前には発生確率が90%以上とされていました。
今日起きてもおかしくない、そんな感じです。

そんな中で大きな地震が起こったのは、2011年3月9日の事でした。

会社の先輩と早めの昼食を取ろうとラーメン屋に入って注文を取った後でした。突然の大きな揺れとその長さに、これは宮城県沖地震だ!と確信しました。
ラーメン屋のテレビもすぐに特別報道に切り替わり、各地の様子を伝え始めました。

最大震度は5弱。岩手県で60Cmの津波があったとの事でした。

大地震ではありましたが、1978年当時とは異なり、被害らしい被害は出ていない感じでした。ラーメン屋も営業を続けており、普通にラーメンが出てきました。

考えてみれば停電にもならないし、断水もしていないし、寸胴が倒れたり、壁が崩れる事もありません。
その後も何事も無かったかのように客先に行き、お客さんと「さっきは驚きましたね」なんて会話をしていました。

宮城県沖地震といってもこの程度か。

被害がこれだけ少なかったという事は、科学の力、文明の力が勝ったんだな。そう思いました。阪神淡路大震災を経て更に強化された耐震基準は、地震を克服したのでしょう。

それから約51時間後、驕った考えは吹き飛んでしまいました。

東日本大震災です。

二日前の宮城県沖地震だと思ったのは、ただの東日本大震災の前震だったのです。
人間の力は自然には勝てなかったのです。

二日前の揺れをはるかに超える大きな揺れと、いつまでも終わらない生まれてから経験したことの無い長時間の揺れに、今この瞬間日本列島は裂けているのかもしれない、いや地球規模で何かが起きていて、人類は数分後に滅亡するかもしれない、そう思う程でした。

確かに耐震基準をクリアした建物は、地震の揺れでは倒壊することなく、ほとんどの建物は無事でした、しかし長年かけて作ってきた防潮堤や鉄筋コンクリートの建物が、なすすべもなく津波に飲まれて、原型をとどめないぐらい破壊されたり、倒されたりしました。

***

今日3月12日、避難が遅れて全校生徒のほとんどが津波に飲まれて亡くなってしまった大川小学校へ行ってきました。整備されてから行くのは初めてです。

きちんとした避難マニュアルが作成されていなくて、大津波警報が出ている中、すぐ裏の山に登れば助かっていましたが、地震で崖崩れがあるかもしれないから危ないという意見があり、児童たちは50分ぐらい校庭に整列していました。

200mほど離れた橋の袂が少し高いので、そっちに移動しようとしている時に北上川を遡上してきた津波に飲まれたのです。

裁判にもなり、大津波警報が出ているにも関わらず、高台への避難をしなかった学校側に落ち度があると判決は出ましたが、亡くなった子供たちが帰ってくるわけでもありません。

また親御さんの気持ちとしては、学校の対応が悪いという事になりますが、はっきり言ってあんな津波が来るとは、誰一人思っていなかったのも事実です。

しかも、大川小学校は川の隣にありますが、海からは4kmも離れています。明治三陸津波レベルでは、津波被害は無いと言われていた場所です。

そこまで堤防を越えるような津波が来るとだれが思うでしょうか。
校舎の屋上より高い津波が来ると誰が思うでしょうか。
コンクリートの太い柱を捻じ曲げる力があるなんて、誰が知っていたでしょうか。

僕も大津波警報もそれ以前に2回ぐらい経験していますし、津波警報も出ていますが、いつも結果的には50Cmとか10Cmの津波で終わっており、今回もそんなもんだろうと多くの人は思っていたはずです。

また10mなどの高さも予想されていましたが、この震災の映像を見るまでは、ほとんどの人が、ハワイの大きな波のようなものを想像していたはずです。

10mの波が、ザッパーン!と来て終わり。
ま、ちょっと流されるかなぐらいの気持ちです。

まさか、どこまでも海面が10mも高くなって、洪水のように押し寄せるとは思ってませんでした。

慰霊碑に手を合わせてきましたが、やりきれない思いが残ります。

皆さんも津波警報が出たら、海沿い川沿いの人はすぐに避難してください。内陸に住んでいる人でも、たまたま海沿いに遊びに行く事もあるかと思います。遠くより高いところに逃げるが基本です。

津波はまたいつか来るでしょうが、適切な避難を行って、亡くなる子供が無い事を祈ります。

どうしようもないやりきれなさを感じます
壁も無くなり天井の鉄骨も曲がっています
渡り廊下の太いコンクリートの柱は飴のように曲がってます。水の力だけで。
校庭に隣接して山があります。ここなら助かった。後ろの川が北上川。
15時37分で止まった時計
たくさんのお花が。後ろの橋に移動途中に津波が襲いました。
北上川は大きな川です。河口から4kmも離れています。風光明媚ないい場所です。


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