見出し画像

ほしいと思って手にしたものは

ほしいと思って手にしたものは、ほんとうは要らないものだったりする。

けれどそのことは無駄ではなくて、ほんとうは要らないと気づけたという、形のない収穫がある。

形のない収穫は、たくさん集まって納得に変わる。

自分に持てるぶんはこれだけで、それは持つにはちょっと重すぎて、あれはわざわざ持つ必要がない。

だったら、自分はこれぐらいの分厚さなんだと納得ができる。100ページあるのに10ページしか書かれてないのはどこか空虚だけど、10ページ中に8ページ書かれていたら、それは腹八分目、いい具合なのだ。

ゆっくり味わう8ページは、目を滑らせながら読み飛ばす80ページを、豊かさという経験において凌駕する。

背伸びをして酒を飲み、辛いカレーを食い、ちょっと気持ち悪くなった夜に、そんなことを思うのだった。

ああ、こんな身体だったよな。


望みを膨らませることの、かわいげのある馬鹿らしさ。

考えすぎと勘違いが、自己喪失へつづく道を指し示す。要らないものを拾って、あ〜あ、と思って、元来た道を帰っていく、すたすたと。形のない収穫だけを行李に詰めて。その収穫が、明日の勘をマシにする。

インスタントに手にしたものは、手間ひまを省いたぶんだけ、それを吟味するための時間も、それに馴染むための時間も省かれているんだ。時間をかけて、なお感覚に馴染み続けるものだけが真実だ。自分にとっての。


何もないっていうことは、虚しいことじゃないんだよ。それは豊かなことなんだ。それを忘れただけなんだ。

だんだん、余計な背伸びをしなくなって、ちょうどいいサイズに戻っていく。梅雨。自分への帰路をゆくのによい季節。

風呂を掃除して、ゆっくりと浸かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?