あいだ

京都鴨川ぐらし。居心地のいい場所を見つけるのが好き。最近はストレッチをやってます。

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マガジン

  • 詩集2023

    2023年に突如書き始めた詩たちです。自分でも気に入ったやつをセレクトしました。

最近の記事

じぶんのからだを取り戻す 10.「がんばらない」の真意

前回までの続きです。 タイ古式マッサージの施術を受けたことをきっかけに、その先生の指導のもとで身体の改善に取り組んでいます。 それを続けられる理由として、「がんばらせない」という指導方針があるなと感じています。 私は身体が力みやすく、硬くなりやすいです。だから、「さあ、呼吸を整えて姿勢をよくするぞ!」と意気込むと、ますます身体が硬くなります。そのままの調子でエクササイズを進めれば痛みが出てきてしまいます。 そうではなく、呼吸をし、脱力した状態をつくり、そこから姿勢を整

    • じぶんのからだを取り戻す 09.習って慣れろ

      前回までのつづきです。 タイ古式マッサージの施術を受けてから、自分でも身体を整えることを学び始めた私は、ちょっとした壁に当たったことがあります。 やってもやっても(やればやるほど?)痛む箇所があったからです。仰向けの状態で骨盤を傾けたり動かしたりする地味な動作なのですが、とにかくやって、なんとなく痛んできて、痛めたらほぐす、を繰り返していました。 力んだ状態でやっていたのが問題ではあるのですが、何より「身体をこういう形に持っていけばいいんだ」という理解でやっていたのがま

      • じぶんのからだを取り戻す 08.力みを和らげるには

        前回のつづきです。 そして、この回の延長でもあります。 自分の身体と向き合いはじめてしばらく経ち、私は力みが強いことに気づいていました。 生活の場面でも常にどこかに力が入っていて、寝ようとして布団に入っているときでも拳をぎゅっと握っていたりします。 姿勢や呼吸のレッスンで「脱力が大事」と言われても、全身が脱力してしまったら立てなくなるのでは?と思っていました。私がいつもどこかに力を入れているのは、それを支点にして身体を守っているような感覚でした。 その支えをなくして

        • じぶんのからだを取り戻す 07.呼吸より始めよ

          前回までの続きです。 タイ古式マッサージの施術を数ヶ月にわたって受けてきました。身体が整う心地よさを覚えて、ふだんから身体への違和感を拾うようになりました。 自分で身体を整えられるようになりたい。何かストレッチ的なことをすればいいんじゃないかと思い、施術のおまけで教わったことを手がかりに、自分なりに身体の調整を始めました。 しかしこれでうまくやれているのか、こんな感じで続けていけばいいのか気になって、先生に見てもらうことにしました。 気がつけば3時間、姿勢と呼吸につい

        じぶんのからだを取り戻す 10.「がんばらない」の真意

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        • 詩集2023
          10本

        記事

          じぶんのからだを取り戻す 06.素直であること

          前回の続きです。 タイ古式マッサージの施術をきっかけに自分の身体に向き合い始めた私は、本当に少しずつですが脱力を覚えていきました。 そしてそれは精神にも当てはまります。前よりも力が抜けて、やわらかく、無邪気でいられる瞬間が増えたように思います。 これまでもそんなところがあるにはありましたが、「やわらかをやっている」みたいな感じもあり、そこがほぐれて前より素直になってきた気がしています。 久々に会った人の何人かから「なんだか元気になった」と言われたり、「力が抜けた」「動

          じぶんのからだを取り戻す 06.素直であること

          じぶんのからだを取り戻す 05.違和感を追うこと

          前回のつづきです。 タイ古式マッサージの施術を連続して受けながら、自分の身体と向き合うことになった私は、今まで使っていなかった、いや、使っていたけれど意識できていなかった頭の回路を動かしていました。 毎回の施術のときに聞かれるのが「身体の調子はどうですか」というごく当たり前の問い。「やっぱり腰に違和感があります」しか最初は言えていませんでした。 いまの身体の状態に意識を向けるようにしてみると、今日はどこが縮んでるとか、硬くなってるとか、疲れてるとか、状態も位置もだんだん

          じぶんのからだを取り戻す 05.違和感を追うこと

          じぶんのからだを取り戻す 04.力みと精神

          前回までの続きです。 身体に向き合い始め、感覚を取り戻してきた私が遭遇したのが、「力み」でした。 歯を磨くとき、風呂で身体を洗うとき、職場に着いたとき、決まって左腰が縮んで肩が張り、硬くなることに気づきました。それは力みなんだろうなと思いました。 おそらく、自分があまり好きではないことに直面したり、えいやっ!というエネルギーが要る場面で身体が「ここはいったん自分のことを捨て置いて、なりふり構わずやらねばならん」と力んでいるのです。 おおけざに言うと、この瞬間に私は自分

          じぶんのからだを取り戻す 04.力みと精神

          じぶんのからだを取り戻す 03.身体イメージをつくる

          前回からの続きです。 あるきっかけでタイ古式マッサージの施術を連続して受けることになった私は、身体と向き合う生活に突入しました。 ほぼ毎週行われる施術のあとに、姿勢や呼吸に関するちょっとした指導をしてもらうことがありました。私はそれを飲み込むのに時間がかかっていました。 なぜなら、実際に身体を動かすことと、脳内のイメージがつながっていなかったからです。 たとえば、「右手を挙げて」と言われても、右ってどっちだっけ?から始まるし、「息を大きく吐きながら肘を外回しにして」と

          じぶんのからだを取り戻す 03.身体イメージをつくる

          じぶんのからだを取り戻す 02.“立つ”とは何か

          前回のつづきです。 タイ古式マッサージの連続施術モニターを受けることにした私は、ほぼ毎週のように身体をほぐされていました。ただ気持ちいい、寝てしまう、何もしないでいるのに勝手に整っていく、「怠け者のヨガ」の異名は伊達ではないな…と、ときおりいびきをかきながら、怠け者の私はただ横になっていました。 施術の最後には、ちょっとした呼吸と姿勢のトレーニング(地味で簡潔なもの)を指導してもらうこともありました。そこで、徐々に自分の身体に意識を向けることを重ねていきました。ほんとうに

          じぶんのからだを取り戻す 02.“立つ”とは何か

          じぶんのからだを取り戻す 01.はじまり

          2024年の1月からじわっと始まった、私の「からだを取り戻すプロジェクト」について語っていきたいと思います。 今の暮らし、今の仕事に飽きていた私は30代後半の工場労働者。休日の散歩と食べ歩きを趣味にしながらも、どこかぼんやりと日々を過ごしていました。 むかしから友人は少なく、自分を表現するような機会も持たなかったのですが、2023年に大きく弾けて以来、自分にしては賑やかな日々を過ごし、来るところまで来たかなという、節目みたいな感覚を受けていました。 ずいぶんと遅れてきた

          じぶんのからだを取り戻す 01.はじまり

          ふだん映画を観ない人が観た、『悪は存在しない』の感想(ネタバレあり)

          映画やドラマといった映像作品は、たまにしか観てこなかった。 画面には生身の人間が映っているのに、そこには意味のあるシーンしかない。主人公がバスに乗って移動している生活の隙間や、トイレでうんこする時間みたいな、物語の展開とは無関係な意味のない時間だってあるはずなのに、その場面はすっかり省かれている。生身の人間がうんこをしないはずはないのに。見せるための切り取り方があって、それが作品というやつなんだろうけど、なんか変だなと子供の頃に感じていた。 一方で、現実も変だ。そこには逆

          ふだん映画を観ない人が観た、『悪は存在しない』の感想(ネタバレあり)

          ホタルイカと春キャベツのパスタ…ではなくうどん

          今夜いただくのは旬のもの。 シンプルに王道のレシピで作ることが、あまり好きではありません。なぜなら、説明書どおりにレゴを組み立てるみたいで、余計なアイデアを入れる余地がないから。 いいえ、それもそうなのですが、格好をつけました。 シンプルであればこそ、腕前がわかってしまうから、というのが理由の大半です。 まあでもやっていきましょう王道レシピ、そんな夜もあっていい、なぜなら明日は休日、心に余裕がある… シンプルであれば、余計なものを足さない、引き算は大事です。が、本当に

          ホタルイカと春キャベツのパスタ…ではなくうどん

          トマトと卵の炒めうどん

          トマトと卵の炒めもの、中華料理で何が好きかって、これである。 トマトの酸味と旨味を卵のまろやかさが受け止め、そこに生まれる渾然一体唯一無二のハーモニー、調和する大宇宙、さながら生命の大合唱、大脳に走る戦慄と魅了、荘厳である。 さて、そんなメニューは店で食べるのが一番だが、自宅でコンパクトに再現し、同時にお腹も満たすならこれ、スーパーに半額で売ってる細うどんの出番である。 雑に炒めていく。強火にしてた。気がつかんかった。トマト、いい感じにほの焦げ。 このために買ったオイ

          トマトと卵の炒めうどん

          春菊とひき肉の焼パスタ、ではなくうどん

          醤油がない…! いや、そんな予感は少しした、けれどフライパンにくるっと1〜2周ほど回しかけるぐらいは残っているのではないかと、そう期待して家路についた。 残っていたのは期待だけであった…。 味付けは塩で代用して、どうにか炒めてみた。どうしたことか、弊アパートの弊冷蔵庫、花椒はあるのに醤油がない。 およそ「ストックする」という考え方からして、本来ホモ・サピエンスには1億年早いのではないか。明日のために、明後日のために、来るかわからないいつかの未来のために、醤油をストック

          春菊とひき肉の焼パスタ、ではなくうどん

          白菜と豚肉とレモンのスパイス和そば

          急に寒くなった、きょうは。 こんな日は白菜と豚肉のあたたかい何かを食べたいな、そう思っていつものスーパーにやってきた。 昨日まで、「なんちゃら剤不使用なので皮まで安心して食べれます」とポップに謳われていた位置に、まだレモンがあった。ポップはただの値札に変わっていたけど、今日もワンチャン、なんちゃら剤不使用で安心だ。しらんけど。 このレモンをアクセントに、白菜と豚肉で暖をとることにした。 豚肉をフライパンにin、コリアンダーとカルダモンと醤油をかけて焼いていく。こういう

          白菜と豚肉とレモンのスパイス和そば

          五感が自然にさらわれるとき

          2月の岐路に立っている。 仕事をやめるか、続けるか、やめても結局、社会の掌からは逃れられない、人は怖い生き物で、それに囲まれるのは苦しいことだ。かといって山奥へ逃げ込めば、身はもはや凍えるばかり。 そんなことが頭をめぐっていた折、しばらくぶりに川辺へ出た。常緑の葉を縫って差す木漏れ日、空の青をうつして鴨を走らせる水面。閉じていた五感が活性しはじめる。思考は力をなくし、感覚が脳の所有権を奪っていく。 ふと、こんな言葉が湧いた。 「五感が自然にさらわれるとき、わたしは人間

          五感が自然にさらわれるとき