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17歳のころ~自分の価値観を振り返る

「今日はMikiさんのリソースを出していきましょうか。」と、コーチは言いました。わたしは今、コーチングのスキルを磨くべく、日々実践と学びを続けているとこなのですが、コーチングを学ぶためには、自分がコーチとしてセッションをするだけではなく、クライアントとして継続セッションを受け、自らが気づきを得ることにより、「行動は変えられる」ということを実感するのがとても大切なことです。

なぜなら、「コーチングを受けることで、あなたは変われます!」といくら熱く語ったところで、コーチ自身が望む方向へと考えや行動を変容させて、どんどん夢を叶え、自分らしく生きていなければ説得力なんてゼロだからです。

・コーチングをしているとき、私たちはコーチという役割を演じているのではなく、私たち自身であること

・私たちが自分の価値観や信念に気づいていて、それを受け入れていること

・自分をよく見せようともせず、等身大の自分としてそこにいること

・私たちが感じていること(感情)、考えていること(思考)、表現していること(行動)に気づいていて、その三者が一致していること

これらを、『自己一致』している状態といいます。


特に最後の「感情、思考、行動の一致」というのは大切ですよね。クライアントを思い切り熱く励ましながら、実は自分自身が「できる」と信じていなくて、行動も伴っていないコーチからコーチングを受けても、何か変ですよね?

コーチが自己一致していて初めて、クライアントはコーチを信頼しやすくなり、クライアント自身も率直に自分自身を表現しやすくなるといわれています。

私はクライアントとして先輩コーチから定期的にセッションを受けているのですが、ある日のセッションで「昔から自分が大切にしている価値観」を出していった体験について書いてみたいと思います。

大事にしている価値観は過去の印象的な出来事の中にある

その日のセッションは「これまで大切にしてきた価値観について聞いていきましょうか」とコーチが言って始まりました。

学生時代から20代にかけて、私が強く望んで実現させてきたことは「海外で暮らす」ということでした。高校時代に一年間、交換留学でドイツの高校に通った経験、そして大学の間に方向転換して東南アジアが好きになり、転職して赴いたマレーシアでの体験が、さらに私の価値観の形成に影響を与えていると思います。

そこで得た価値観は
「人と同じではおもしろくない」
「自分自身のことを話して伝えないと、人にはわかってもらえない」
「自分が話す価値があるという人間であるという事を主張しないと、誰も相手にしてくれない」
「個性を発揮することはすばらしいことだ」
というようなことでした。おそらく、普通に日本で学生生活や会社員生活を送っていることだけではあまり得ることがない価値観かもしれません。

今日はそのような、価値観がなぜ形成されたのか、ということについて書いてみたいと思います。

ドイツの学校では、誰も留学生だからと、ちやほやしてくれない

ドイツの高校での体験は、「何も話せない」ことから始まりました。17歳で渡航したので最初は同じ年のクラスに入りましたが、文系だったので理数も苦手で、選択した教科は文系ばかり。あまりにも風貌も学力も大人であるドイツ人の同じ年のクラスで同等にやっていくことは無理で、14歳とか15歳のクラスに入れてもらいました。

しかし最初の数か月は、クラスメートとのコミュニケーションもまともにできませんでしたし、日本で外国からの留学生がちやほやされるような、そんな雰囲気はドイツでは全くなく、「話ができない者は能力がないから、話しても意味がない」という扱いでした。ですから、友だちは最初の半年ほど、一人もできませんでした。

理数が苦手であったため、消去法で選択した歴史の授業では、ドイツ現代史を扱っていました。日本でよくある教師の一方的な講義とは異なり、歴史の中で起こったことを改めて生徒に考えさせるような授業でした。

たとえば、「政権の終盤に、ヒトラーは民衆に向けて〇〇について説明する必要があった。もしあなたがヒトラーなら、どのようにそのことを大衆に向けて話すか。」のような質問を教師が発し、15名程の生徒が順に答えていくというようなものでした。

その授業で私の番がきたとき、教師は私の存在を完全に無視して次の人を指しました。クラスでひとことも発することのない日本人の留学生でしたから、当然といえば当然かもしれません。教師からすると、指して何も答えられないことは明らかだと判断して、飛ばしたというだけのことなのでしょう。ですが、それまで日本の高校で優等生であった私の中には、その時の悔しさが刻まれており、未だにその教師の名前もその時の雰囲気も忘れることがありません。

話せるようになって、ようやく友だちができた

ただ、ドイツ人のホストファミリーは本当に私のことを本当の娘のように扱ってくれましたので、日々の家庭での会話や体験から次第に日常会話を身に着け、学校生活にも徐々になじんでいきました。

そこで半年ほどして、初めてプライベートでも仲良くしてくれる友だちができ、彼女を通して他のクラスメートとも次第に交流を持つようになっていきました。

私がそこでどの程度個性を発揮できていたのかどうかはわかりません。でも、私が持って行った日本画の画集を一緒に眺めたり、お好み焼きを作ったり、陶芸を一緒に習いに行ったりする中で、異文化を背景に持った『わたしという個性』が認められていったのがその過程であったのだと今は思います。

留学生活も終盤には、クラス旅行やプライベートなパーティに招待されるなど、現地の高校生らしい生活を送り、クラスメートも仲良くしてくれて、友人がだんだんとできていきました。

毎日、毎日手紙を書いていました

その1年弱の留学経験を通じて培われた価値観というのは

「黙っていては、誰にも相手にされない」

「話さなくてもわかる、ということはない。言わないと、主張しないと誰もわかってくれない。」

「面白い話や情報提供をして、価値や個性を認めてもらわないと一人前とみなされない。」

ということだったと思います。しかも、私は前半の半年あまり、学校が終わってからは部屋に閉じこもり、よく日本の友だちや家族に手紙を書いていました。数えてみると、ハガキや手紙を10か月で200通ほど書いており、そこでドイツ語というより日本語で書く力も養われていったのかもしれません。

学校生活で自分を表現できない悔しさや、日々の中で見つけた嬉しさや感動。

そしてそれを友人たちに書き連ね、発信し続けていた17歳のドイツでの日々。

それを考えてみたとき、現代のSNSで日々発信しつづける自分自身と重ね合わせて、実は当時から自分はあまり変わっていないような気もしました。

コーチはありのままを受け入れてくれる

私のコーチは、ここまでの、わたしが怒涛のようにしゃべり続けるドイツ留学時代の話を聴いてこう言いました。

「人によってはトラウマにもなりうるような体験を、今では『おかげさまでこんな価値観が身に付きました』とポジティブに変換できているところがすばらしいですね」

「先生に無視されても、落ち込むどころか「悔しい」という記憶が残っているのはとても勝ち気だったのですね」

そして、「なぜMikiさんがいろんなところで、話すのが好きなのかもわかっりました」と言ってくれました。

そうなんです、私って自分のことやそのほかの知っていることを人にお伝えするのが好きなんですよね。そしてそこから、何か有意義なディスカッションや交流が生まれて、お互いが学び合い、高め合えるような関係が生まれることが理想と思っています。

そしてコーチは、後半のわたしの社会人になってからのマレーシア生活の話も十分聴いてくれたあとで、「Mikiさんの若い頃の生き方は『道を切り拓いてきた』というイメージですね」と締めくくってくれました。

こんな風に、若い頃の体験から自分自身の大切にしている価値観を拾っていくことは、これからの「望む未来」を描いていくためにもとても重要です。

さて、このセッションから、私は過去の経験や価値観を再認識し、どんな風にさらに未来に向けて飛躍していけるのか。まだまだ「乞うご期待!!」です。


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