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努力って何だろう。

タイトルみて、甘えてないで勉強したら?って思った人もいるかもしれないが、なんか最近すべてが中途半端になっているので、ここらへんで気持ちを吐き出しておきたいと思って、今気持ちを整理している。

本題に入ると、努力って何者?って話。基本的には、自分で達成したいと思っていることをかなえるために頑張ること、みたいなところだと思う。

僕は努力をするのはあまり苦じゃないほうだと思っていた。高校のころから、部活の運営だったり、文化祭の劇、体育祭のダンスとかなど、いろんな活動に関わってきた。それに加え、自分も努力することができるんだなって思うようになった大きな出来事を挙げるとすれば、それは大学受験だろう。

具体的な大学名を出すのはやめておこうと思うが、僕は世間一般から見るといわゆる高学歴といわれるような国公立大学に通っている。(学歴について思うことは山ほどあるので、また別の記事にしたいと思う。)

高校生の時、僕はその大学に受かるとはお世辞にも言えないような成績をとっていた。でも、高2のころから、成績を上げられるように、自分で計画を立てて単語帳を進めたり、問題集を解いたりしていた。クラスのみんなよりも早めに受験勉強のようなものを始めたこともあり、自分でいうのもあれだが、僕は誰よりも勉強している偉いやつ、みたいなキャラになっていた。

実際に、自分でもよく頑張ったなとは思うし、結果として合格することができたので、努力が報われたともいうことができると思う。直前期には、お世話になった先生たちのためにも、クラスメートに結果を見せるためにも、という気持ちで勉強に取り組んでいたようにも思う。

今、大学に通う僕は、公認会計士の資格を取るために資格の勉強をしている。この資格の勉強の特徴は、たまに大きな時間をとるのではなく、毎日、習慣的に数時間とって、継続的に勉強する必要がある、ということである。

受験期に、毎日コツコツ勉強することには慣れていたので、僕にも向いていると思って、予備校に入って、勉強を開始した。ただ、簿記は初学者だったので、一抹の不安はあった。

勉強を始めてみると、内容を理解するのがとても難しく、大変だった。勉強の難易度については、僕は簿記が初学者だから、「日本語も、算数も、英語も何も知らない人が、東大受験に挑戦する」くらいのものだといえる。だから、周りがいろんなところに遊びに行ったり、彼氏彼女を作ったり、体育会に入ったり、サークル活動にいそしんだり、委員会の仕事をしたりしている中で、その授業の内容を理解するために多くの時間をかけるのである。

しかし、僕は苦しい思いをして勉強しているのにも関わらず、先生は「君は偏差値高い大学に通っているのだから、このくらいはわかってるよね」みたいな感じで接してくる。質問をしに行っても、「そんなこともわからないの?」みたいな話し方をしたり、「頑張っているな」って声をかけることもなく、「勉強時間が少ないですね」、だとか言われたり。

こんな日常や過去から、つい努力について考えてしまった。高校の時は、周りに同じような境遇の仲間がいて、自分の努力を認めてくれる人がいた。何ならその人たちがいたからこそ頑張れたともいえるかもしれない。大学に入ってからは、周りに同じ資格を目指している人も少なく、先生も自分の努力を認めてくれることはない。努力って、自分のためのものだから、頑張っていることをわかってくれなくてもいいじゃないとも思ったりもする。けど、わかってくれたほうが、よし、またこれからも頑張ろう、ってなったりもする。

ここまで書いても、結論は出なかったのだが、一つ言えることがあるとすれば、この時間を勉強にあてられなかったことについて、予備校の先生からあきれたようなことを言われることだ。




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