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大学生活って何するの。

今日は、バイト先の先輩の話をしようと思う。

僕は大学受験の予備校で勤務しているのだが、そこでペアで働いている先輩がいる。その先輩は、大学を休学してインターン先で働いているなど、行動力に富んだ人である。彼が大学生活において大事だと考えていることを聞いて、とても興味深かった。

大学受験という競争を潜り抜ける人たちに関しては、最終的なゴールとして、いい企業に入ってお金を稼ぎ、幸せな人生を送るということがあるだろう。いい企業に入るために、彼が大事だと思っていることが「努力量」である。これは、今まで経験してきた努力の最大値、キャパシティーのようなものである。新卒採用において、企業は即戦力性を求めることはしにくい。そこで、新しいことを学んだ時や、仕事が激務になってきたときなどにどれだけ頑張れるか、つまり努力量の大きさを求める。だから、大学受験では自分の目指している大学に合格するために、自分の最大の努力をして、自分の努力量を増やすことが今後の人生においても大事になってくる。大学生活においても、自分が熱中して取り組めることを見つけて、それに対して最大限の努力を注ぎ、努力量を増やせるように行動すべきである。努力量を増やすためならば、浪人や休学などのギャップイヤーでも臆することはなく、積極的に行ってもいいはずだという。

僕はこの話を聞いて、いろんなものがとても腑に落ちた。大学生になったら挑戦できることの幅が増えるよっていう話は聞いてはいたけど、なんかよくわかってないままだった。高校時代は、基本的に頑張ることのベクトルが決まっていた。例えば、部活に熱中したり、文化祭体育祭に命を懸けたり、必死に勉強したり。みんなどれかには当てはまるということが多いだろう。僕の高校が特殊なのかもしれないが、このようなものにちゃんと取り組むっていうのが理想的な生徒像みたいになっていた。でも、大学生って、大学の勉強を頑張って研究者になることもできるし、資格の勉強に取り組むこともできるし、サークルやバイト、体育会に熱中することもできる。だから、理想的な大学生像、いわゆる自分で選んだ挑戦することに正解ってなくて。つまり、何に熱中して取り組むかっていうのはあくまでも手段であり、根本的な目的は努力量を増やすというところにあるということだ。

この話が全て、ということでもないとは思うが、自分が今たくさん時間を使って取り組んでいることが間違いじゃないよって言われているような気がして、少し心が軽くなった。

P.S. もし先輩が読んでいたら、勝手に書いてしまって申し訳ないです。またご飯でも行きましょう。



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