聖教新聞 2024/06/02 名字の言 “有り難さ”に気付く
北欧ノルウェーでは、たんぽぽや、ブドウの房に似たムスカリなどの花が咲き、過ごしやすい季節になってきたという▼以前、この国で地区部長を務める女性を取材した。ブラジル出身の彼女の母語はポルトガル語。一方、ノルウェーの主な公用語はノルウェー語で、現地の多くの会員が話す言葉は英語だ。彼女は同志を励ますため、その二つの言語を学んでいた▼日々の学会活動は、さぞかし大変なのではないか。そう聞くと、彼女は「いいえ」と答えた。そして池田先生の命懸けの激励行で、ブラジルやノルウェーの広布が開かれたと語り、「だからこそ今の私たちがある。そう思うと感謝しかありません」と。その瞳は青空のように澄んでいた▼めったにないことを「有り難い」と言う。家族や友人、同志……今の自分がどれだけ多くの人の献身に支えられてきたか。その“有り難さ”に気付くことができれば、見える景色も苦労の捉え方も変わる▼日蓮大聖人も門下の真心に対し、自らを戒めるように「驚くことでもなく、珍しいことでもないように思ってしまうのは、凡夫の心である」(新1869・全1512、趣意)と記されている。感謝の心を忘れず、周囲に「ありがとう」の花束を送る人でありたい。(藍)
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