見出し画像

「ミイラ」展観て書き

写真の世界で「撮って出し」という言葉があるのをなんとなく認識はしていて、ふわっとニュアンスを了解するところによると便利で楽しい言葉だなと思うので使ってみる。展覧会を観てきた今の気持ちのままに書く。細部の詳細は間違っていたりするかも。後日確認修正します。

上野・国立科学博物館で開催中の「ミイラ」展を観てきた。

大変な混雑であった。若いカップルも親子連れも、そんなに見たいかミイラ。人の死体だぞ……。私はすごく見たかったけど。

ミイラと言えば古代エジプト、という感はあるが、今回のミイラ展は古今東西さまざまなミイラをかき集めている。「古今」はちょっと言い過ぎだけど、7000年前から150年前まで。亡くなった人の、その姿を(なるべく)留めたい、という欲求はどうやら、人類普遍のものであるらしい。

なぜなんだろう? 不思議な気がする。

第2章 古代エジプトのミイラ

いきなり第2章から言及してしまうけれど、並べて見ると明らかなのだが、古代エジプトのミイラ技術というのはやはり際立っていて、めちゃくちゃ保存状態が良い。古代エジプトの彫像の研究で、これはファラオの像か否かという話で「顔立ちが似ている」とか言い出されたりするのを目にしたことがあるが、よく考えなくてもこれはとんでもないことだ。3000年前のファラオの顔立ち!

しかしこれは特異なことで、他の地のほとんどのミイラはそんなにきれいには残らない。体は枯れ木のようになり、表面は崩れ、顔は歪む。
そういうふうになってしまう、ということは、ミイラの作り手たちも実際了解していたはずだ。それでも残したい、と彼らは考えていたのだ。それって、どういう心なんだろう。

第1章 南北アメリカのミイラ

さかのぼって第1章。あるミイラが非常に印象深かった。

画像1

あんまり印象深かったので、それをモチーフにしたグッズを買ってしまった。
ペルーの「ミイラ包み」
このまんまである。
ミイラの手足を折りたたみ、麻袋に入れて、口をキュッと縛る。袋にはデフォルメ化された人の顔が刺繍されている。それだけ。

これだけ!

エジプトのミイラは何重もの棺に入れて埋葬される。古代ギリシャ文明の初期には遺体は壺に入れて埋める。そういうのは、分かる気がする。死者は封印されて我々の現世からは区切られた向こう側に行く。
でもこれは全然そういうふうじゃない。ただの袋。中にひとつだけ、上からぐるぐると縄で縛られたものがあったが、他のものは(そしてどうやら出土したものの大半は)そうではない。キュッと上を口紐で寄せただけ。なんなら、その紐は麻に人毛を縒ってあったりさえする。

つまり、この文化にあっては、ミイラは、いまにでも口を開くことができるのだ。
そしてまた我々は、いつでも袋の口を開けば、まだ彼らに会うことができる。
それがミイラなのだ。人の世と死者の世界の、まだ地続きの場所に留まっている。

第3章 ヨーロッパのミイラ

そういう祈りのあり方を見た後では、湿地遺体(ボッグマン)にはウッとくるものがある。絞殺されたり人為的な死を迎えたあと沼地で(おそらく意図せずに)ミイラ化した彼らの体は、泥の圧力で潰れ、ひしゃげている。

今回の「ミイラ」展のメインイメージのシルエット(公式twitterアカウントのアイコンにもなっている)は、実はそうしたミイラである。見れば分かる通り、あるべきところにあるべきものがない。敢えてこれをメインに持ってくるのか……。
湿地遺体は「『生贄として捧げられた』、または『犯罪者として処刑された』と考えられている」そうなのだが、そのような姿をさらに後世にこうして見世物にされることを、彼らはどう思うのだろうか。

第4章 オセアニアと東アジアのミイラ

などという感慨をついつい抱いたところで、噂の本草学者のミイラがやってくる。研究の結果ミイラ化する方法を編み出したとして自らの体でそれを試してから死に、「後世に機会があれば掘り出してみよ」と遺して埋葬された男。そしてまさにその言葉は実現された。もし彼の魂がこの様子を知ったら、150年越しの渾身のドヤ顔を見せてくれることだろう。

それにしても、自分の遺体がミイラ化するということが分かっていて死ぬって、どんな気持ちなんだろう。そんなことを最終章に至ってようやく考える。この後に続くのが即身仏である。
信仰心のために死ぬことは、どうやら人間の歴史を振り返れば、それほど困難なことではないらしい。でも、遺体がはるか後世まで遺り、それが子孫や宗教上の末裔たちに丁重に扱われ、祀られ、法衣を替えてもらい、ずっと世話されていくのだと分かって/信じて死ぬというのは……。

---

本展には、ミイラとなることを知りながら死んだ者も、自然の偶然でそうなってしまった者も、あるいはおそらく意に反してそうされてしまった者もいるのだが、やはり目を引かれるのはこの中では最初の事例である。
葬礼美術というものは、死に(自らの/身近な人の/社会の中の)際した人の心、即ち人間文明の一番切実な部分を取り扱っているものだと感じられて、私はとても好きなのだけれども、
ミイラづくりとは、死後のこと、死の向こう側のことでありつつも、なお死よりも私たちの手前側、地続きの生と死のあいだのことでもあるのだろうと思う。死との付き合い方にはいろんな形があっていい。にもかかわらずおそらく今後の世界ではもはや作られることはないのだろう。ということも含めて、やっぱりすごく魅力的なのだ、ミイラ。

なお、同じ上野公園内の東京国立博物館で現在「人、神、自然」と題した特別展が開催されている。こちらにも古代エジプトのミイラが出ているし、古代の埋葬に関わる展示品が多いので、ミイラ展に行かれた際にはぜひご一緒に。


特別展「ミイラ」

国立科学博物館
2019年11月2日(土)〜2020年2月24日(月)
午前9時〜午後5時(金曜・土曜は午後8時まで)月曜休館


この記事が参加している募集

イベントレポ

最後まで読んでいただきありがとうございます。 もし応援をいただけましたらドイツ語の参考書を買います。