「アートの反発精神こそ、精神性が支えるべきものである。」――上海抽象作家 曲豊国
『人民日報海外版日本月刊』 洪欣
上海で抽象画の第一人者と言っても過言ではない曲豊国氏(以下、曲氏と略す)を、上海のアトリエで訪問取材した。アトリエを2箇所も構えている曲氏だったが、比較的に市街地から近いM50のアトリエを指定してきた。(もう一箇所は、宝山区にある1919というアート・ビレッジだ[注1])気さくな方だった。
曲氏は、1966年に遼寧省に生まれ、上海戯劇学院で舞台美術を専攻し、卒業後は大学に残り33年間母校で教えている大学教授でもある。代表作は、『表象』『2001形而上』『紅色』『限界超越』『世界』『四季』等がある。
コロナ禍が人々の日常を大きく変化させた昨年、『四季』の作品が生まれる。季節の移り変わりのように、春、夏、秋、冬の作品ができあがる。2020という数字の並びがわりと好きだという。
曲氏は、筆と顔料という伝統的な「描く」という「行為」自体を捨て、絵の具のチューブから直接顔料を絞り出し、その出来上がった色のラインを削って破壊し、またその過程で「線」の存在を確かめ合う。色はその重なり合いと「削る」行為によって混ざり合い、影響し合う。すなわち、「削る」という破壊行為から新しい色彩と世界で「創造」される一枚の抽象画だ。やがて一つの新しい「世界」が彼のキャンバスの上で巡り逢うのである。その「偶然性」は作品制作のプロセスの宝物だと彼は述べる。
隔離を経験した2020年。空間と時間に対する思考が一層我々人間に課せられた一年でもあった。ヨーロッパから帰ってきてホテルで隔離され、今まで付き合いに使っていた時間が多く自分の時間に回帰したとも言える。その反面、ソーシャル・ディスタンスに代表される体の距離への強要は、Zoomに代表される媒体により、世界をある意味近くした。
春、夏、秋、冬が赤、黄色、緑、ブルーに、一般的に識別される色で表現されている。ただ、一見単色で表現されている表層の中に大きな混沌とした宇宙が潜んでいる。赤の中にも、数多くの黄色、ピンク、黒、白、ブルー等が混ざり合っている。黄色の中にも、グリーンの中にもブルーの中にもである。そして、色彩の裏にはさまざまな形が見え隠れしている。24の季節に別れる農業の暦による「啓蟄」、「谷雨」等の作品が誕生した。「四季2020春」、「「四季2020夏」、「四季2020秋」「四季2020冬」及び「四季2020啓蟄」と「四季2020谷雨」という作品群である。
取材は、まさにその『四季2020冬』の前で行われた。
実は、2010年上海万博の開催時に私が企画した上海万博記念版画[注2]の日中トップ・アーテイスト13人にも曲氏が入っていた。あの時の作品は『世界2010ブルー』と『世界2010年レッド』で、日本の版画工房360°GRAPHICSでシルクスクリーンの技法による版画作品を制作したのだった。
その時の世界は二年前に北京オリンピックがあり、リーマンショックという世界規模の金融危機があった。時間の流れの中で、世界はたしかにさまざまな変化を見せた。無数の色彩が重なり合い、載せられ、削られ、混ざり合う。キャンバスの上で、時間の中で。そして、色はその「場」でめぐり逢い、色の中に「無限」を潜ませている。横にピンと張った「線」は無数の「点」の集積でもあり、時間をキャンバスという空間に、宇宙に留めておく手段になる。
いつのまにか、時間は11年も流れ、世の中はコロナ禍という空前の疫病に見舞われている。一度動きを止めた時計のように、暫定キーを押されたように、人々は海外はおろか、なるべく移動をしない、互いにソーシャル・ディスタンスを保つことを余儀なくされている。二年近い間、世界は「内側」という「在宅」を当たり前のようにやってきた。感染者人数という数字に一喜一憂し、家族の入院中も病気見舞いにも行けず、老人ホームに入っている年老いた親の見舞いにも行けず、多かれ少なかれ疲労困狽してきている。
その中でも、国や個人の防疫に対する考え方に大きな相違が生じている。それは遠目で一見単色の赤色に見える曲氏の作品の裏に見え隠れする、「見えない形」や「恐怖」あるいは「危機感」から、ピンと張り詰められた重い空気を私たちは感じとることにも似ている。それでいて、作品の世界は空間全体を豊かな雰囲気に染めて、なんだか清々しい。
マスクを付けて、PCR検査を重ね、隔離生活をする人たち。その中でも、ZOOMにより世界は繋げられ、人々はその中でも政治的に確執し合い、争いを止めない。変わらず愚かだ。
夏の東京はオリンピックが一年延期して開催された。海浜公園は一年以上も会場建設のために塀によって封鎖され、生活者は海に立ち寄れない生活を強いられた。その時、我々人間は空飛ぶ自由な鳥を羨んだ。海浜公園は鳥たちの朝礼の会場になった。曲氏のブルーのラインの奥に、私は無数の鳥たちの声を、形を見た。
上海では今年金木犀の花が1ヶ月も遅れて咲き始めた。金木犀の花びらが黄色く地面いっぱいに落ちてくる頃、中国本土ではまたコロナの感染者数が各地で少しずつ増えてきた。東京では、オリンピックで一度は千人単位だった感染者数が2桁に落ち着き、20数人を「20人しかいない」と思い「コロナと共存する」という日本の「ウイズコロナ主義」と「20人もいる、大変だ」となる中国の「ゼロコロナ」の防疫対策には大差が生じてきた。その感覚の差はどこからきたか、世界は変わる、曲氏の作品の変化のように。
[注1]1919アート・ビレッジはかつて日本のモノ派の関根伸夫氏が生前アトリエを構えていた場所でもある。上海の抽象作家・黄渊青、陳墙等抽象絵画の作家たちがアトリエを構えている。
[注2]上海万博の開催された2010年、日中13名のトップ・アーテイストによる記念版画が企画制作された。日本作家には草間彌生、横尾忠則、関根伸夫、小清水漸、井口真吾、笛田亜希等作家が、中国作家には、周春芽,方力钧,刘野,季大纯,孙良,裴晶,曲豊国とトータル13人の記念版画だった。
洪 欣 プロフィール
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。
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