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飾らない美味しさが教えてくれた大切なこと。

みなさん、こんにちは。

私は、「株式会社ピープルズ」という会社の執行役員及び経営企画部長であり、その子会社である「スーベニール株式会社」の取締役を務めています。
※私の自己紹介の記事はこちらをご覧ください。
⇒普通のOLだった私が、ある会社の社長になった、たった3つの理由。

スーベニールのお商売の中で、私は様々な地域の方と、いうなれば遠距離恋愛をしています。弊社の店舗のスタッフメンバーが家族だとしたら、FSS(フレンドシップショップ)の仲間は、友達であり、恋人です。
※フレンドシップショップに関してはこちらの記事をご覧ください。
⇒出会いから出会いへ。NOパッケージ、完全オリジナル型のコンサルティングをスタートしたときのはなし。<前半>

FSSの運営で関わった訳ではないですが、私にとって大切な出会いであるひとりが、金比羅宮の参道、77段目でお商売されていた「小田象六堂」の小田さんです。今は小田象六堂さんのお隣で、弊社も「七十七堂」を運営させてもらっています。たくさんのブランドとお店を運営し、商品を企画している私たちですが、私のとってひとつのターニングポイントとなった繋がりでありお店です。今日はその話をすこししたいと思います。

スーベニールの観光地でのお商売には段階があり、

①京都のおみやげブランド「カランコロン京都」の展開

②京都内でブランド展開、出店

③京都外でブランド開発、直営店出店

④コンサルティング(FSS)やフランチャイズ展開

ざっくりというとこんな感じなのですが、ちょうど小田さんに出会った頃は③と④の間ぐらいの感じで、京都外の観光地でのお商売にも様々な事例をつくれてきていて、成功と失敗を繰り返していました。
特に弊社でも主力のブランドであるがま口専門店「ぽっちり」や、海外の方にも人気の「にっぽんCHACHACHA」。レトロで上品な雰囲気の「souvenir gallery」をパッケージとして、各観光地に展開していたのですが、上記にも記載したように、そこには成功と失敗があり、その観光地にぴったりとブランドが当てはまり、たくさんのお客様が訪れてくださるケースもあれば、全く合わないケースもある。その土地の特徴や、周りの状況、世界観、空気、など観光地よっても全然違い、同じブランドでも客層が違うことがあることが見えてきていた頃でした。
成功だけ重ねていると、きっとそうもならないとは思うのですが、京都以外の観光地に視野を広げ、出店地や物件の情報も入りだしていただけに、出店が決まるたびに「これで本当に正解なのか?」と考えていた時期でもありました。

そんなころ小田さんにお声がけいただきお会いする機会があり、まず最初に印象的だったのは、『自分がどうしたいか』ではなく、『この金毘羅の参道をどうしたいか』を1番にお話ししてくださったことです。
私はこの頃、様々な観光地の不動産会社の方とやり取りして、何とか好立地に出店ができないか?を苦悩していました。観光地の店舗の数は限らているので、出店の可能性が出てくることが貴重であり、お金だけなく、タイミングや運も必要です。ですので、金毘羅で可能性がある!というだけで、「どう出店するか?」ということばかり考えていました。

しかし、小田さんが私を見ての一言目は、「ここをシャッターにしておくのは忍びないのよね」でした。なんとか、続けようと頑張ってきたけれど体力も持たないし、また来たよと言っていただけるお客様のために、なんとか土日は開けているけれど、こんな広い場所を締めておくなんて、金毘羅の参道は華やかでないと。とおっしゃっていただいたんです。

他にも、小さいころお客様からお正月お年玉をもらったこと、社員旅行で北海道から必ず毎年来てくださるお客様のお話、地ビールを売るために苦労した話、商品を仕入れたときの話、失敗した事業の話、、、。思い出話の中からは、なんとか自分自身も人生を捧げてきたこのお店を、いいお店にして、金毘羅を活性化させたい。という想いが見え隠れしていました。

この時何となくですが、私のなかで、「これで本当に正解なのか?」のもやもやが消えたような気がしました。
その土地のお店を「物件」としてしか見ていなかったところから、観光地の特性などといった戦略面だけでなく、「ここに根付いていくお店」として感じ取ることが出来るようになった気がします。
金比羅宮に向かう、長い階段の77段目。ずっと長い間「小田象六堂」として運営していたこの場所。この場所がシャッターにならないように。この場所で小田さんが見てきたようなお客様の笑顔が溢れる場所にできるように。私たちのお店だけれども金毘羅を愛する小田さんの想いものせて、❝金毘羅の、さらにはこの場所にしかないお店❞にしよう。
そう決めた瞬間でした。
帰り道社長に、「絶対、既存ブランドでなくて、新規ブランドにしましょう!なんだか、わからないけれど、絶対そっちの方がいいと思うんです!」と伝えていました。「七十七堂」が生まれた瞬間です。

そう思えると、スッといろんなことが一本の線に繋がって感じられました。まずはお店の内装の世界観、お金の掛け方。
「綺麗にお店を作ること」にこだわりすぎていた今までの感覚を改めることができました。特に、お店に入ってすぐの木張りの吹き抜けは絶対に壁で塞がず残したい。この味のあるテーブルも、什器で使いたい、と思いました。
普段だったら張り替える床は、そのままにして、違う部分にお金をかけることにしました。

次に、テイクアウトの導入。
77段登ってきたところで、ちょっと美味しい飲み物で休憩出来たら。
テイクアウトの併設とブランディングも同時にスタートすることにしました。社内でフード事業部のメンバーと連携し、「七十七堂」の併設テイクアウトブランド、「nazuna」の誕生です。

最後に商品です。商品も基本的にはブランドごとに紐づけされていて「にっぽんCHACHACHA」であれば、和テイストの雑貨、「souvenir gallery」であれば洋レトロな雑貨や服飾と展開ブランドによって、商品の展開もある程度決まっていくことが多かったのですが、「七十七堂」では、その感覚も捨てようと思いました。
金比羅宮があり、歌舞伎があり、うどんがあり、という特徴豊かな観光地であるこの場所には、和テイストの限定商品がヒットする。だけれども、客層は幅広く、ちょっと単価が高くても、上質な商品が好まれる空気もある。それは、和テイストでなくても、日常で使えるようなものがあってもいい。男性も多いから、ユニセックスである方がいい。対極にあると思っていた「にっぽんCHACHACHA」と「souvenir gallery」の必要なところだけを抜き取ってぴったり合わせられたことも、私にとって、とてもよい成功例になりました。

7月10日(一応、七十七に掛けています笑。)にオープン。
コロナで春の歌舞伎もなくなってしまいましたが、たくさんのお客様にご来店いただいております。
やってみていないので分かりませんが、ここで、「souvenir gallery KONPIRA」を展開するよりもきっと、今お客様に愛されているのではないかと思っています。

少し戻って、お店がオープンする前の日のお昼。
「ちょっとごはん行こうか。」
と、小田さんに連れて行っていただいたのが、車で30分ほどのおうどんやさん。山道を抜けての、❝知る人ぞ知る❞という感じの製麺所です。麺が作られている隣にちょっとしたおうどんを食べるスペースだけ用意された場所でした。
トップの写真は、その時のものです。

「これから長い時間、たくさんのお客様が来ていただけるお店になるといいわね」

スーベニールがこれから、観光地で展開していくにあたりとても大切なことを気付かせてくれた小田さんとの、とってもおいしいおうどんの時間。たまごとネギと、醤油と味のもとだけのシンプルなものですが、思い出もプラスされて、私が一番大好きな、おうどんです。

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