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お米をおもちゃに変えた愛と狂気。People「お米のおもちゃ」編part2『ピートラ』Vol.74

「これから大臣やってみようか」
いま思うとそれは、私を「お米のおもちゃ」に隠された愛と狂気の渦に引き込むはじまりの一言でした。

はじめまして、ピートラでは初めてお目にかかります。
ピープル入社5年目のかたぎりと申します。
前回に引き続き「お米のおもちゃ」編のpart2ということで、今回はお米のおもちゃ企画担当の私がお送りさせていただきます。


今日から田んぼ大臣!

私がお米のおもちゃの担当になったのは入社して間もなくのことでした。
それはこんな一言から。
「かたぎりくん大臣やってみようか? 今日から田んぼ大臣ね!」
初めて聞く「田んぼ大臣」という謎の役職に戸惑いつつも、その日から私は田んぼ大臣を務めることになりました。

新潟県南魚沼市にあるピープル農場

田んぼ大臣の仕事というのは、ピープルが南魚沼に借りた田んぼ「ピープル農場」を活用すること、と意外にもシンプル。
早速田んぼ活用の方法を模索するにあたって、なんでそもそも田んぼを借りることになったのか、と素朴な疑問を上司に尋ねてみると返ってきたのは意外な回答でした。

「お米のおもちゃの原料であるお米をもっと知りたいからだよ」

え、お米を知りたいという理由だけで、田んぼまで借りたのか……。

大臣をやって生まれた疑問

ピープル農場誕生の理由に驚きつつも、そういうことならばと、自分たちで田植えや稲刈りをしたりと、お米を知るためにできることを様々やってみました。
(そのあたりついて、詳しくは過去の記事に↓)

先日、ピープル農場でおこなった田植えイベント(写真提供/トモニテ)

お米作りに携わってみると、案の定お米のことにどんどん詳しくなっていくのですが、その一方で、ある根本的な疑問がわいてきました。
そもそもなんでおもちゃの原料にお米を使うことにしたのだろうか?

気になった私は、当時の開発担当者に話を聞いてみることに。
そこで私は、想像だにせぬお米のおもちゃ開発への思いと挑戦の物語を知ることになるのでした。

お米のプラスチックとの出会い

当時のお米のおもちゃ開発担当者の渡部さん

2008年、ベビーおもちゃプロジェクトを立ち上げたところからこの物語はスタートします。
当時は食品の偽装問題などが騒がれ、素材の安全性に対して世間の関心が高まっており、おもちゃも赤ちゃんが口に入れるものとしてその例外ではありませんでした。
そのような背景のもと、安心な素材を追求するために、プラスチック、木材に代わる第3の素材を探しだすことに。
数々の展示会を巡った末に見つけたのがお米由来のプラスチックだったのです。

自然由来のプラスチックには、トウモロコシや大豆などいくつか種類があった中で、どうしてお米に着目したのか。
それは、赤ちゃんの安心を思う気持ちからでした。
お米は食べるものとしてなじみが深く、また国産で作れるということもあって、赤ちゃんが遊ぶおもちゃの素材として最も安心感があると考えたのです。

そうしてお米素材を使ったおもちゃ作りに着手し始めるのですが、ここからが苦難の道のりでした。

おもちゃのプロをも困らせた!お米配合率51%への挑戦

当時お米で作られた製品というのはほとんどなく、ましてやおもちゃの原料として使うなど前例のないことでした。
そんな中、ピープルのこだわりと工場の開発技術がせめぎあいます。

そもそもお米を原料に使うのは「赤ちゃんが口に入れるものだからこそ安心な素材で作りたい」という思いから。
そう考えると、100%お米由来で作れたらそれは理想的なことなのですが、そう簡単にはいきません。
お米の配合率が高くなればなるほど成形が難しくなってしまうという難点があったのです。

ならばいっそ、配合率を極端に下げてしまえば容易なこと。
ですが、その手段を選ぶことはありませんでした。
それはもちろん赤ちゃんの安心の追求のため。

「安心のためにできるだけお米の配合率を高くしたい」、そのこだわりの結果「半分以上をお米で作る」ことを最低限の指標として掲げました。
半分の51%でも当時では異例の配合率で、いわば無茶なオーダーともいえるのですが、そこにはピープルの譲れない思いがあり、そしてそんな異常なまでの思いは、開発する工場の人々にも伝染していきました。

当時の開発資料に書かれたメモ

先ほども述べたように、お米からおもちゃを作るなんてことは当時では異例で、長年工場でおもちゃを作ってきたベテランたちにとっても大きな挑戦でした。
お米は水分を多く含むため、熱を加えて成型する際に水蒸気の煙が出たり、その煙が製品の中に気泡を生んでしまったり、また水分が金型を錆びさせてしまうこともありました。
そんな不具合の連続にも屈することなく、プロとしてのプライドをかけて挑み続けます。

そうして試行錯誤を繰り返した末、ついに「お米のおもちゃ」完成の日を迎えます。
それは、展示会で初めてお米のプラスチックに出会ったあの日からおよそ2年が過ぎたころでした。
ピープルだけでなく、工場の人々の思いまでもが一つになり、ようやく実を結ぶことができたのです。

愛と狂気の果てに

お米のおもちゃの開発秘話を聞き、私は思いました。
狂っているんじゃないか、と。

お米でなければ、もっと作りやすい素材があったでしょう。
51%にこだわらなければもっと簡単に作れたでしょう。
でもそうすることなく、お米をおもちゃにするという異例の挑戦を成し遂げるに至った、その原動力は一体何だったのか。

それはまさしく愛と狂気であり、それこそがピープルの開発にかける思いなのだと思います。

お米のおもちゃのはじまりは、安心して遊んでほしいという赤ちゃんへの愛からでした。
それをきっかけにお米と出会い、それを形にするために51%にこだわりました。
その狂おしいほどのこだわりは最後まで折れることなく、お米のおもちゃという商品を生み、今や15年も愛されるロングセラーとなりました。

そしてその愛と狂気は、脈々と受け継がれていき、果てには田んぼを借りるという素材へのこだわりぶりにまでつながっています。
気づけば私もその渦の中にいたわけですが、お米のおもちゃの成り立ちを知ったことで、先人たちの思いを胸にこれからも大臣を続けていこうと強く思ったのでした。

ピープル農場とこれからも(写真提供/トモニテ)

長くなりましたが、田んぼ大臣からは以上となります。
次回は「お米のおもちゃと赤ちゃん」について、赤ちゃん研究所のメンバーがお届けします。
ここまでお読みいただきありがとうございました!

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