いつか息子が大きくなって、僕の手を離れてしまう日が来ることを、少しだけ考えた日の話
僕は知っている。いつか息子は大きくなり、やがて僕たち親の手を離れて、独り立ちしていくのだと。それこそ、かつての僕がそうだったように。
けれどもしばらくは、まだ僕のこの手を支えにして欲しい――と、そう思ってしまうのも、また親心だと思うのだ。
今日は、そんな話をしようと思う。
***
「パパ! ぜったい、ぜーったい、手をはなしちゃダメだからね!」
「わかってるよ。大丈夫、パパに任せて」
休日、自転車用の道路での話である。
僕は、5才の息子のコトが、補助輪なしの自転車に乗るための練習に付き合っていた。
自転車にまたがる息子を後ろから両手で支えて、バランスを保ってあげる。
「さぁ、ペダルを漕いでみて」
「うん。パパ、しっかり、ささえてね」
恐る恐る、コトが両足をペダルに乗せる。僕の両腕に、息子の重みがずしりと掛かる。
「よし、おしてくーだーさい」
緊張すると敬語になるという、コトの謎のクセが出ている。
僕は笑いをこらえて、後ろから声をかけた。
「オッケー、行くよ」
「ゆっくりね! ゆっくりだからね!」
わかってるよ、と言って、僕はゆっくりと、コトの身体を前に押し出す。
ぐらぐら、ゆらゆら。
まだバランスを取れない息子の身体が揺れるたびに、しっかりと支える。
「わー、わーっ!」と、コトがはしゃぐ。
「こらこら! 落ち着いて、前をみて! ちゃんと押さえてるから!」
二人でけらけらと笑いながら、青空の下を走り回る。
走りながら、――これはまだ先が長そうだぞ、と僕は思った。
なんとかスピードに乗って、コトが自分でペダルを漕ぎだしたあとも、後ろについて走る。僕はコトの背中に軽く手をあて、いつ転んでもいいように備えるのだが、これが中々しんどい。
ただでさえデスクワークが中心の仕事な上に、最近はテレワークが続いて運動不足に磨きが掛かっている僕にとっては、けっこう辛いイベントである。
***
数メートルほどは、順調にペダルを漕いで前に進んでいたコトだったが、不意にぐらりとバランスを崩したかと思うと、「わあっ!」と、両足をついて自転車を停めた。
「ふー、あぶなーい」
後ろを走っていた僕は、優しく声をかける。
「でも、転ばなかったね。走るのも、停まるのも、だんだん上手になってきたじゃん」
「うん。コト、じょうず?」
「上手、上手。でも、そろそろパパ、疲れてきたから、休憩にしない? 喉も渇いたし」
「うん、いいよ。コトもジュースのみたい」
「よし、じゃあリュックが置いてあるベンチまで戻ろうか」
「うん」と、コトが頷く。
すると、――コトはベンチの方をしっかりと見据えてハンドルを握り、ペダルに足を乗せた。
僕はこれまでと同じく、慌てて息子の背中を支えようと、手を伸ばす――
「え?」
――が、僕の手はコトの背中に触れず、そのまま空を切った。
すうっと、コトの背が離れていく。
「あれ? うそ!? コト、ちょっと待って!」
くるくると、コトは自分の足でペダルを回している。
これまでは、僕がしっかりと両手で息子の身体を支えて、倒れないようにずっと後ろを走っていたのに――今回は、
「わー、パパっ! コト、のれてるよ!」
そう。一人で、きちんと自転車に乗っているのだ。
コトの嬉しそうな声が、どんどん遠ざかっていく。
「コト、気を付けて! 危なかったらブレーキを使うんだよ!?」
「だーいじょーぶ!」
どうやら、最初から身体をしっかりと支えてあげるのではなくて、まずは一歩、自分でペダルを踏み出させることの方が、大事だったようだ。
それに、僕が後ろから支えることで、いかにも「練習」という感じになってしまい、コトも緊張してしまっていたのだろう。
休憩して、ジュースを飲みに行こう――そんな気軽さが、コトにとっては逆に良かったようだ。
コトが先に、ベンチに到着する。
あとから僕が追いつくと、コトは誇らしげに胸を張った。
「パパっ! コト、じてんしゃのれたー!」
「うーん、見てたよー! すごいねー!」
そしてふと、僕は思った。
――こうやって、子どもは、だんだんと親の手を離れていくんだな、と。
もちろんこれまでだって、ミルクや離乳食、オムツにベビーカーなどなど――いくつものコトの「卒業」を目の当たりにしてきたし、そのたびに何度も、「ああ、手が離れたな」と感じてきたものだ。
けれども、それをここまで強く実感したのは、この瞬間が初めてだったように思う。
それはきっと、僕の手から、コトの小さな背がすうっと遠ざかっていくのを、この目で直接見てしまったからで。
「自転車一人で乗るの、怖くなかった?」
「うん! コト、ねんちょうさんだからね!」
ニカッとコトが笑う。
「そっか」と、僕も笑った。
息子が何でも一人で出来るようになることは、もちろん嬉しい。けれども、まだ親として、手伝ってあげたい。
そんな複雑な気持ち、一体どんな言葉を選べば表現できるのだろう。
と、まぁ、こんな風に。
親というのは、実にワガママで、それこそまだまだ自身の「子ども」な感情に振り回される生き物なのだと、僕はこの日、抜けるような青空の下で、思い知ったのだった。
***
いつの日か。
それこそ――十年とか、二十年が経ったあと、君がもし「親」になる日が来たときには。
僕が今日、親として思った、嬉しくて寂しい、そんな複雑な気持ちについて、ゆっくりと話してあげようと、そう思うのだ。
2022年7月 ぺんたぶ
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