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「お友達とは、また会えるよ」という話

 春は別れの季節だと、そう僕は思う。
 幼い頃から、親の仕事の都合で、引っ越しや転校による別れを繰り返してきたせいだろう。雪国や都会、海の向こうの離島、暑い土地など、本当に様々な場所を転々としてきた。

 別れのタイミングは、いつも春だった。

 幼稚園の頃に、もう名前さえ思い出せない幼なじみと離ればなれになったのもこの季節だった。小学校や中学校の頃に、放課後に一緒に遊んだ友達と別れたのも、高校を卒業して親元を離れたのも、社会人になって初めての転勤も、いつも春の出来事だった。

 そしてまた、今年もこの季節が来て、――息子のコトにも、初めて、友達とのお別れの話がやってきたのだった。
 僕の方がすっかり慣れていたとしても、まだ5才の息子にとって、「別れ」はとても大きな出来事になるのだろう。
 
 今日は、その話をしようと思う。 

***

先生からのお手紙

 
 5才になる息子のコトは、週に一度、ピアノの習い事に通っている。
 通い始めて1年近くが経ち、同じクラスになった4人のお友だちともすっかり仲良くなってきた3月のとある日のことである。
 レッスンを終えたあと、先生から、僕はこんなお手紙を受け取った。

4月から年長さんになる保護者の皆様へ

 4月からは、クラスでのお勉強ではなく、マンツーマンでのレッスンになります。
 あらかじめお子さまにも、伝えておいて下さいね。

 ああ、と僕は思った。
 とうとう、この季節がやってきたか。思わずため息を吐いてしまう。

 僕も小さい頃、親に引っ越しを告げられて友達の離ればなれになることが決まったとき、大いに泣いた記憶があった。
 別れは、子供にとって、とても辛く悲しいイベントなのだ。
 さて、コトになんて言って伝えるべきか。

「パパー? どうしたの?」

 プリントを手に固まってしまった僕を、コトが心配そうに見上げている。

「いや、なんでもないよ。帰ろうか」

 そう言って、僕はコトと手をつないで、教室をあとにした。
 何も知らないであろうコトは、お友だちに、「ばいばーい!」と元気に手を振っていた。

***

でもね、また会えるよ

 
 その日の夜。
 僕は、コトが大好きなりんごジュースを準備して、声をかけた。

「コトくん、少しお話しがあります。りんごジュースを飲みながら、聞いてくれるかな?」
「りんごジュース? やったー!」

 コトは、にこにことダイニングテーブルについた。
 これから僕は、君に少し悲しい話を伝えなくちゃいけない。
 この子も、かつての僕のように泣くかも知れないな、と思いながら、そっと語りかける。

「コトくんは、習い事のクラスで、たくさんのお友達がいるよね」
「うん!」

 そう言って、コトはお友だちの名前を挙げていく。
 いつもクラスが始まる前に楽しそうに遊んでいる、仲良し4人組。

「実はね、春から、コトくんたちは別々のクラスになるそうです。いままでみたいに一緒に練習するのは終わりで、みんなと離ればなれになっちゃうんだって」
「えー? はなれバナナーってなにー?」
「バナナじゃない」

 離ればなれ、は、5才には難しい表現だったか……。
 僕はゆっくりと、コトに、春からはクラスの友達とお別れして、マンツーマンでのレッスンになることを説明した。

「どうかな? わかった?」
「うん、ぼく、わかった」と、コトは小さくうなづいた。
「お別れ、悲しい?」
「うーん、わかんない」と、コトはにかっと笑った。

 そうだよね。まだ、お別れがどういうものかも分からないだろうし、実感なんて湧かないよね。
 そう思っていると、不意に、コトが口を開いた。

「でも、パパ。また、あえるんだよ」

 ……え?

「おともだちとは、また、あえるって。いっしょにあそべばいいって。せんせい、そういってた!」

 また、会えばいいだけ――か。
 さすが先生、良いことを言う。
 たしかにそうだ。きっとこの先も、友達でいることに変わりはないのだから、また会って、一緒に遊べばいいだけ、だね。

「いいことを聞いたよ。ありがとう、コトくん」

 僕は息子の頭を、わしゃわしゃと撫でた。

「うわー、やめてよー。ぼくもやっちゃうぞー!」

 そう言って、コトはその小さな手で、僕の頭をなで返してきた。 

***

やって来たお別れの日

 
 そして、3月下旬のある日。
 このクラスでの、最後のレッスンが終わった。

 それまで一緒に過ごしてきたパパさん、ママさんとも、「1年間ありがとうございました」と、挨拶をする。

 コトは、同じクラスの友達と、笑顔で別れの挨拶をしていた。
 そこに、涙はなかった。
 その息子の姿に、僕は少しだけ、たくましさのようなものを感じた。
 きっと君は、強い子になる。

***

そして、春


 そうしてやってきた、4月。
 桜が咲く道を通って、僕は息子と一緒に、習いごとの教室へと向かった。

 今日から、コトは、お友達と一緒のクラスではなく、マンツーマンでのレッスンを受けることになる。

 自転車で走りながら、後ろに乗せたコトに、僕は話しかけた。

「今日からは、お友達とは別々での練習です。さみしくても、泣かないでね?」
「だいじょうぶだよ! またあえるもん!」
「そっか、そうだったね。また会えるもんね」

 きっといつか、またどこかで。
 自転車で走ること、10分ほど。いつもの通り、コトと一緒に、教室のドアを開ける。

「あ、コトくん。こんにちはー!」

 そこには、3月まで同じクラスだったお友達たちが、いた。
 てっきり誰もいないと思っていた僕は、大いに動揺した。

「……え? あれ?」

 混乱する僕に、コトが「ほらねー? あえたでしょ?」と、ニコニコと笑う。

「こんにちはー」と出迎えてくれた先生に、僕は聞いた。
「えっと、今日から、マンツーマンという話を聞いていたような気がするのですが……?」
「あ、マンツーマンですよー」と、先生がにこやかに笑う。

「今日からは、教室を半分こにして、それぞれに先生がついて、練習しますー」

「え? でも、他に2人、お友達がいましたよね……?」
「ああ、前の時間の子たちですか? みんなで少し遊ぶんだーって、練習の後、少し残ってたみたいですよ。あれ? コトくんから聞いてませんか? また仲良しの4人で会える時間が取れるように、2コマ、レッスンが連続するようにしたんですー
「あ、そうですか……」

 コトくんがずっと言っていた「また会える」って、そういう意味でしたか……。

 ニコニコと楽しそうにお友達と遊び始めたコトの姿をみて、僕は思わず、笑ってしまった。
 先生がたの配慮に心からの「ありがとう」と、ちょっぴりの「先に言ってよ」という気持ち。
 いずれにしても、コトくんが別れの辛さを経験するのは、まだ、少し先の話になるようである。

 とりあえず、良かった良かった。


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