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思い立って嵐山

平日に有給休暇を取得したある日、朝思い立って嵐山に行ってきた。今日は平日だし、土日と違って空いてるはずだし、最近の疲れた心身には山と川のの景色が必要だ。そう思って朝一の語学のオンラインレッスンを終えると、私の体が自然と嵐山へ向かっていった。

自宅から嵐山までは電車を乗り継いで小一時間。思ったよりも遠いなぁと感じつつ、桂駅の乗り換えホームで多くの外国人が見て、あー日本にもインバウンド需要が戻ってきたんだなぁとしみじみ。ヨーロッパ、アメリカ、東アジアと様々な国の方がいて正直、日本人の方が少なかった気がする。嵐山っていまそんなにホットなのね。


嵐山に行くのは、実は20年以上ぶりで2度目の訪問。前は確か嵐山に行くことが目的じゃなくて、嵐山にあったアイドルショップにグッズを買いに行きたかっただけ。そこで篠原ともえさんの下敷きを買ってもらった記憶がある。世界のデザイナーの話はさておき、僕は京都の大学に通ってたのに、学生時代は京都は暑い位しか印象を持っておらず、大人になってから京都のあの醸成された文化やわびさび、美しく保たれた景観、枕草子の季節感が感じられるところなどなど評価がうなぎ昇り。もちろん加齢のせいである。
最近では京都は定期的に訪れたくなる場所にランクイン、いまや四条通りの歩いた方が早いんじゃないというバスさえもいとおしい。

阪急嵐山駅につき、しばらく歩くと渡月橋に着いた。迫力のある山々と、桂川の轟々とした音、そして渡月橋。そしてここには思考を乱すような余計な装飾物がない。情報量が少なく、贅沢な余白がでんと構えている。ベンチに座ると見渡せば眼福、目を閉じれば耳福(そんな言葉は無い)。観光客が皆キラキラ輝いているようにも見え、京都の魔力ここにあり。


渡月橋と桂川のマリアージュ


そのままその足で天龍寺へ向かう。金龍ラーメン、最近食べてないなぁといそいそと歩いて行く。いやしかし平日と言うのに人が多いこと。お店が立ち並ぶエリアは訪日客と修学旅行生ひしめいている。それ自体は全く否定しないのだが、やはり世界遺産である天龍寺も人がわんさか。天龍寺に静寂はなかったけれど、コロナ禍の3年を思うと修学旅行生がちゃっちゃと楽しんでいるのを見るのも悪くない。晴天と庭園の青紅葉のコントラストがきれいで京都はいつきても新しい景色の発見がある。


その後は、竹林の小径にいくも、これは竹林の小径ですね以上の感想が出てこないちんちくりんな発想力の私。少し休憩してから、空いているところも攻めてみようと思い、離れにある大覚寺に行った。

嵐山の混雑エリアを100とすると、大覚寺は5といったところ。景色をほぼ独り占めできるような感じさえして、1人で景色に立ち向かうゆえに、背筋がピンとなる。景色を見ながら、自分との対話が始まった気がした。「私はこれからどう生きていきたいのかな・・・」なんて普段は考えないことが頭に浮かぶ。これは都会の喧騒に生きていると、常に何かをやるということに追われているから、内省する時間がない。いや、内省して脳がパンクしないようにしているというほうが正しいかも。人間の悲しい性により理由付けをしてしまうことを反省しつつ、少し自分を見直せた気がする。


大覚寺
隣の池もほぼ独り占め


その後はそのまま家に直行。アラフォーには休息と紫外線対策、ときおりの京都が必要なのです。また京都いこう。


皆様からのスキがもらえるととても嬉しいです。