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「指示待ち人間」は悪いのか?

日本企業においては「指示待ち人間」は最低最悪であり、ビジネスパーソン失格であると考えられています。
働く以上は常に主体的に「一人称で動かなければ」(日本人ビジネスパーソンがよく使う言葉)いけないというのがある種ビジネスマナーになっているといえます。
根本的な問題ではありますが、「一人称」(笑)で動いてくれる労働者がほしければ給料とその他待遇を上げればいい話なのですが、まあそれはおいておいて。

確かに100%常に指示を待っているのは問題だと思います。
けれども、ある程度指示を待ちつつ、周囲の様子を見るというのも大事なこと。
常にやる気に満ち溢れ、「一人称」(笑)で動かれると、やらなくていいことまでやられてしまう可能性があります。
というか、主体的に動きまくっていると、「仕事をしている自分」に快楽を覚えるようになり、確認や報告がおろそかになってしまう危険があります。
私はもちろん、そのような経験はないですが、「リーダーシップ」を発揮し、「一人称で動いて」、周囲に迷惑をかけるビジネスパーソン(ただbusyなだけ)を見てきました。

指示待ち人間は積極性には欠けますが、「問題を起こさない」という点においてはとても信用できます。
それにやる気に満ち溢れている人間とは違い、落ち着いているので見ていて安心します。
周囲が「一人称」(笑)で動きまくる人間だらけだと、見ていて鬱陶しく感じます。
人によって好みは違うでしょうが、私はやる気に満ち溢れた人間に囲まれるのはすごくうざいと感じるタイプなので、一定数指示待ち人間のような人がいるととても安心します。

仕事的な面の話ですが、「主体的に動いて、クリエイティブティをはっきしまくり指示されたことをしない人」よりも「指示通りやってくれる人」のほうが効率的にもいいです。
今の日本社会は「コミュ力、陽キャラ力、主体性」みたいなことが素晴らしいといわれるので、マニュアル通りやってくれる人の価値はとても高いんですよね。

それゆえに「指示待ち人間」は決して悪いとはいえません。
指示通りにちゃんとやってくれ、かつ無駄に手を広げないほうが問題は起きないので、組織においては一定数「指示待ち人間」が必要です。

もちろん、全ての労働者が「指示待ち人間」だと業務が停滞しますが、一人称で動く(笑)陽キャラが礼賛される社会では、マニュアル通りにこなしてくる人間も必要であるといえるでしょう。




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