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「やる気のある無能」よりも厄介な存在

 「やる気のない有能」と「やる気に満ち溢れた無能」、どちらがマシか?と聞かれたら多くの人は「やる気のない有能」と答えるようです。

 有能であるならば、やる気のあるなしに関係なく組織に利益を生み出してくれる。一方、「やる気のある無能」というのはガッツだけが空回りし、生産性を生まないので、現代の結果主義的な風潮からすると有害な存在とみなされるそうです。

 「やる気のある無能」は多くの人から嫌われる傾向がありますが、実は「やる気のある無能」よりも厄介な存在がいるのです。それが「厨二病の無能」。

 「厨二病の無能」とは仕事をやらない(できない)自分をカッコいいと考えている人。言ってみれば「遅れてきた反抗期」。

 「仕事ができないことをカッコいいと思うヤツなんているの?」とあなたは思うかもしれませんが、いるんです。

 中学生とか高校生って悪ぶるのが好きじゃないですか。学ランを第二ボタンまで開けたり、腰パン(死語!?)したりして「悪ぶっている自分かっけぇ」みたいな。ああいう感じです。

 私はXはあまり好きではないのですが、Xをウォッチしていると、偏差値3のような文章を書く人が仕事ができなくて開き直っているツイートをしているのをよく目にします。

 どのようなツイートなのか、男性か女性かなどを具体的にあれこれ書くと、SNSジャンキーな人なら速攻で誰なのかを特定してしまうので、控えますが、とにかく仕事ができない自慢をSNSで積極的に行っているのです。

 ツイートしている本人は仕事ができなく上司を怒らせている自分に快楽を感じているようなのですが、雇用主や上司、同僚からするとたまったものではありません。

 悪意なく仕事をサボったり(矛盾しているが)、常に定時で帰ったり、会社の飲み会に一切参加しないのはまだいい。けれども、露骨に害悪をまき散らした挙句自分自身に酔いしれたら周囲から反感を買うのは無理もありません。

 とこれ以上書くとアレなので、止めておきますが、厨二病を患い仕事ができないアピールをしまくるのは「やる気のある無能」よりも悪質です。

 「やる気のある無能」は確かに仕事こそできないものの、周囲の雰囲気を良くします(たぶん)。だから必ずしもマイナス要素だけではない。

 しかし、仕事ができない自分に酔いしれる「厨二病を患った無能」はただひたすらに害悪をまき散らすだけ。

 世の中には仕事ができない自分に酔いしれる「厨二病の無能」が一定数存在するのです。「やる気のある無能」はガッツがあるだけまだマシであり、何もできない自分も正当化し快楽を得る人間が現代においては最も厄介だと思います。

 

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