木霊

眠れぬ夜には木霊がまとわりついている。無数の木霊が話しかけてくる。応えたりはしない。木霊はつねに、私の言葉を繰り返すだけだ。
 部屋中に埋め尽くされた木霊たちは、脳から発生する音波を奏で続ける。私はただそれを聞いている。無数のささやきが部屋を埋め尽くす。聞き取れぬほどにたくさんの音がある。激しいものもあれば、ひそかなものもある。そのすべては、等しく私の耳に届く。そのすべてが、私に認識されるのを待っている。
 しばらくすると、木霊の声にも慣れて、一つ一つの音が聞き取れるようになってくる。内容は様々で、すべて私の人生にかかわっている。私はただそれを聞いている。答えを出すのは無駄だと思っている。答えを出そうとすればするほど、木霊は無限に増え続ける。追えば追うほど、遠のく。木霊の声には、不思議とそんな性質があるような気がする。
 聞き続けていると、いつの間にか木霊は数を減らしている。部屋中を埋め尽くしていたはずの木霊はまばらになり、声もいつしか数えられるほどになっている。部屋を眺めると、すでに朝の光が混じり始めている。時計を確認すると、おおむね三時半である。まだ少し、朝まで眠ることができる時間であることを確認する。木霊はささやき続ける。この時間に残る木霊は、ベッドに入った夜更けからずっと変わらぬ音を奏で続けている。よほど大事なことなのだろう。しかし、応えない。応えるすべがないことを、私自身よくわかっている。
 しつこく同じ音をささやき続ける木霊を無視して、何とか眠ろうとする。目をつぶると、木霊の声がひときわ大きくなる。眠らせまいとする、木霊の唯一の意志だった。寝返りを打つと、外はずいぶんと明るい。時計は確認していないが、五時近い時間になっているだろう。この時間では、もう眠ることはできない。あきらめて、木霊の声をただ聞く姿勢に戻る。木霊の声は元の音量に戻る。ここにきて、木霊に対して初めて苛立ちがわく。あまり馬鹿にするなよと言いたくなる。しかし、怒ったところでどうにもならない。木霊は私の脳を反射しているだけだ。
そして、やっと眠りにつく。いつの間にか木霊は姿を消して、目が覚めるといつも通りの遅い朝がやってきている。木霊のいない昼は心穏やかである。昼間は太陽の光に紛れて月が見えないように、きっと木霊はいつでも部屋中を埋め尽くしている。だから私は、この頃夜を迎えるのが憂鬱だ。

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