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リミッターを解除した〜いじめ・不登校・学校の悩み相談・ぺんこ🐧「みんなの談話室」

私は、文章を書くのが好きだ。

話すことよりも好きだ。

なんで書くのが好きなのかも理由がある。

文字を綴る上では、誰かの顔色を伺うことも無い。

後悔することも私の場合ない。

どこまでも自由に自分を表現できる。

そのことに気づいたのは高校生の時。

不登校になって、高校中退して、調子も悪くて字すら読めなくて、教科書も小説も読めなくなった。

何も自分に残らなかったことに驚いて、必死で自分に残ってるものを探した。

「ぺんこは文章を書くのが得意だねぇ」

小学校5年生の時、県の作文コンクールで入賞した。

自分の書いたものが本になった時、小説家になったみたいで嬉しくて、大好きな祖母にそれを贈ったらそう言ってたくさん褒めてくれた。

だからおばあちゃんに褒められたい一心で、次の年、県でトップになろうとして、頑張った。

冊子のトップに乗ったので、自分としては大喜びだったんだけど、最近、小学校の時の恩師に再会してその当時の事を聞かされた。

「あれね、あまりにも素晴らしかったから、盗作などないかって何回も確認されたのよ。〇〇(忘れたけど教育長とかめちゃくちゃ偉い人)の推薦もう少しで付くとこだった。でもあまりにも上手く出来すぎてるからって、推薦付かなかったの」

すごっ!

思わず声が出た。

盗作疑惑まで出ていたなんて。

私は親戚の伝統工芸士のおじさんの話を聞いて紀行文を書いたので、作文のために、自由研究はそれで資料を作ったくらいなので盗作しようがないんだけど、こう、大人のドロドロした渦みたいなのが当時私の知らないところであったのを知っちゃったみたいで、ほえーとなったのを覚えてる。

祖母は中3で亡くなってしまったので、大好きなおばあちゃんに褒められる目的がなくなった私は、書くのほどほどに辞めてしまったんだけど、中学校に進学して、担任に作文を褒められた時は嬉しかった。その時の作文のコンクールは、なんか女子女子した、私が何か言うと周りに「そんなことないよねー!」って言うタイプの陽キャギャルが入選したのはちょっと面白くなかったけれども。

そんなこんなで不登校になって高校も中退しちゃった時、自分の周りにあったのは、紙とペンと、子供の頃からよく読んだ青い鳥文庫の本だけだった。

「書くしかない」

そう思った私は物語や詩を書き始めた。

通信制サポート校の先生に教えてもらって、絵本屋さんとも繋がって、毎日のように通った。(多分今思うと迷惑だったよね…)

何本か児童文学みたいなのや童話も書いたし、詩集は小さいノートに何冊もできた。

今思うといわゆる「黒歴史」っていうやつなのかもしれないけれど、当時私にはそれしかなかった。

それから絵本作家や童話作家に憧れて、そんな人たちを養成するコースのある大学に入ったんだけど、周りは何千枚も書く人ばかりで、なんなら文学賞の三次選考まで残るような友人もいて、「こりゃだめだ」と思っていた私は、先述した小学校時代の恩師に再会して、「そんなに子供好きならこっちくればいいじゃん」と言われて同じ道を目指すようになるのだが…。

物語は書かなくなって随分経ったけど、そな間にWebライターの仕事もさせて頂いたし、やっぱり文字で何もない所に感情をぶちまける作業は今でも好きだ。

子供達に話をする仕事だけど、本当はお母さん達にお手紙書くみたいに連絡ノート書く方が好きだし、レポートにしても記録にしても文字を綴るのは嫌いじゃない。

最近心からありがたいことに、「承認」していただく場面が増えた。

そしたら、なんだか自分のリミッターを外したくなって、また、文章を、書くのが楽しくなってきている。

トークのリミッターを外すのは、きっと私にはまだ少し、時間がかかる。

でも、ライティングのリミッターを外すことができたら…

もっと子供たちや親御さんの為に言葉を届けたい。

リミッターを解除した自分の表現力はどこまで行くんだろう。

やってみよう。

そう考えたらワクワクしてきた。

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