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傲慢と善良

2024年、ほんとにほんとうに久しぶりの投稿。

前回から1年も経つなんて。時の流れの速さを年々実感するようになってきた。

辻村美月さんの「傲慢と善良」を読んだ。
いつも大まかなあらすじを知ってから読むことが多いけれど、今回は予備知識を入れずに読み始め、一気に読了。とても心にずしっとくる重みのある内容だった。帯に書かれた、人生で1番刺さった小説、というキャッチコピーに思わず頷いてしまう。

婚活における、「ピンとこない」の感覚。
嫌ではないんだけど、胸を張ってこの人だと思えない。この感覚を味わったことのある人は少なくないだろう。
思わず、ハッとした。身に覚えがある、と。

そのピンとこないの正体は、その人が自分自身につけている値段だという。

小野里「ピンとこないの正体について、私なりの答えはありますよ。ピンとこないの正体は、その人が、自分につけている値段です。」

マッチングアプリや婚活サイトを通した恋愛や結婚が珍しくはないこの時代、そもそも出会う相手を職業、収入、学歴、家族等条件で絞り出して出会える点は効率的だ。それで条件をクリアしているのにもかかわらず、なにかが違う、ピンとこない感覚を抱くのはなぜなのか。この人は自分に見合っていない、もっと自分に相応しい人がいるはずだ、そういう潜在意識がそう感じさせているのだ。

それが傲慢なのだと作者は私たちに語りかけてくる。

なるほど、と思った。

映画や小説がどんなに残酷なストーリーであろうと、結末まで見れるのは、どこか他人事だと思ってているからであるけれど、この本はそれを許してくれないところがあった。新しい傷口に素手で触れるような、ぎゅっと身体に力が入ってしまうような感覚。

読了後、「で?あなたは?」と問いかけられている、と感じた。

そんな私も世間一般でいう、結婚適齢期。
20代後半に差し掛かり、チラホラ結婚する友人も増えてきた。必然的にあなたはいつ?と問われているような気がしてしまう。

結婚するもしないも自分次第。幸せのあり方は自分自身で決める。それが理想と分かっていつつもやはり、世間体を気にしてしまうのは現代社会を生きる私たちの性だろう。

話は物語に戻るが、真実のとった行動は驚くべきもので、婚約者である架の女友達は、架に、そんな子やめておきなよ、という。真実がついた大きな嘘。確かに、大胆で、向こう見ずな行動だったと思う。許せる?許せない?論争が巻き起こりそうな出来事だが、私はどこか安心してしまった。「善良」な生き方を貫いてきた彼女が、彼女なりの感情をぶつけたのだから。
それを架は「許した」のではなく、「受け入れた」。まるごと真実を愛すことを決めたのだ。傲慢さを捨てて。まさに、大恋愛だ。

善良と傲慢は表裏一体で、人は皆そんな要素を抱えながら生きている。
私は常日頃、恋愛においても人間関係においても、真っ直ぐ人と対峙できているだろうか。傲慢さ、プライドに囚われることなく、目の前の人と向き合えているだろうか。完璧でなくていい、ただ、今の私は傲慢でないかを常に立ち止まって達観できる人でありたいと強く感じた作品だった。

いいなぁ。大恋愛。(笑)

真実ちゃん、架くん、おめでとう。


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