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室外機から優しさが吹き出す

職場まで毎日30分歩いて通勤している。

僕がいま住んでいるアパートは、長崎市内でいちばん賑わっている商店街から、北の方角へしばらく歩いたところにある。
長崎大学のキャンパス裏、斜面に沿って家が立ち並ぶ静かな町だ。



公務員は、職場から2キロメートル以上のところに住んでいれば、通勤にかかるバス代や電車賃相当の通勤手当が支給される。
僕が住んでいる場所はその条件を満たしているので、手当を受け取ってバス通勤するという手もあった。
しかし、やれバスの乗車履歴を出せとか、定期券の写しを見せろとか、トニカク面倒な手続きが増える。
なので僕は、「手当なんてちっとも欲しくなかですけんね!」と潔くそれを断って、徒歩通勤することにした(今おもえば間違いだったか)。




引っ越した当初の春先まではそれでよかった。

ところがどっこい。
7月も半ばを過ぎて梅雨が明けると、太陽のヤツはフルスロットル、メーターを振り切って暴走し始めた。
「どうだまいったかニンゲンどもめ、ワハハ」と照射される熱線を前に、「マイリマシタマイリマシタ、もう逆らいません、二度とナマイキ言いませんからもう許して...」となす術もない。

しかも長崎は坂のまち。
できるだけ平坦路を選んで歩くが、自宅と職場の周辺では、まあまあ急な坂道がウネウネと続いていて、完全にそれを避けてゆくことはできない。

太陽のモーレツ熱線を浴びながら、壁のような坂を登って、職場(又は自宅)に辿り着く頃には汗ダラダラ息タエダエの瀕死状態である。




僕にとっては砂漠のように果てしないその通勤路を毎日歩いていると、道路脇から追い打ちのように熱風を吹きつけてくるヤツがいる。

あの白くて四角い、扇風機の羽根みたいなのがグワングワンと回っているアレ。















コレ


そう、エアコンの室外機である。

多くの場合、各家庭の室外機は、表から見えない場所、つまりベランダの中とか、庭につながる出窓の横とかに設置されている。

しかし、そういうスペースがなかったのだろう、道路に面した玄関脇なんかにズラっと置かれた室外機の群れを目にすることもよくある。
この、「道路放出型」の室外機こそが問題なのである。


「道路放出型」三兄弟


「道路放出型」が吹き付けてくる熱風の威力は凄まじく、気を抜いているところへモロに食らってしまうと、いちどに全身の力を奪われる。

ただでさえサウナみたいな夏の灼熱地獄にあって、ねっとりとまとわりついてくる、質量の重い濃密な空気。

こう書くと、どことなく官能的な響きさえ感じられますね。
──深夜、付き合って半月のカノジョと近場の居酒屋に行った帰り。
カノジョが暮らすワンルームマンションに初めて入れてもらい、道中のコンビニで買ったレモンサワーなんかを一緒に呑んでいると、酔いがまわってちょっと大胆になったカノジョが肩にすり寄ってきて、耳元で「好きよ...」と囁きながら漏らす甘い吐息。
そういうのならいいんだけど、断じて違うのだ。

──真夏、五十路に入った小太り髭もじゃハゲかけのオジサンが、鼻息荒くニンニクラーメン大盛りを汁まで飲み干した直後、東京タワーメインデッキまでの600段をシニモノグルイで駆け登ってきて、脂汗ダラダラ全身ギトギト状態で地面に突っ伏し、ゼエゼエ吐き出しまくる息。
例えるならそれを10倍くらいに増幅させた空気である。

ここまで言ってしまうと、室外機の風よりそっちのオジサンの息の方が遥かに強烈な気もしてきたが、気分的な不快度は同等ということだ。




でも、そういう忌まわしき存在である「道路放出型」の中には、10分の1くらいの確率で「亜種」がいるということに最近気がついた。










その「道路放出型・亜種」とは、排気口にナナメの風除け板を装着したヤツである。

でっかいブラインドみたいな風除け板が付いている


この風除け板の効果は素晴らしく、「道路放出型・亜種」の前を通っても、あれだけ強烈なはずの熱風が全く感じられない。
風をぜーんぶ上へ逃してあげているのだ。
実に単純で、チョット考えれば誰でも思いつきそうな仕掛けなんだけどね。
でも僕は考えつかなかった。
なんたる大発明か、と涙を流して手を合わせ、地面にひれ伏した(アチチ)。

ちょっと調べてみると、この画期的なモノは「風除けルーバー」という通称名を持っていて、1万円でお釣りが来るくらいの値段で売られているらしい、と分かった。
そもそもの使用目的は、室外機の正面にある隣家や草花に風が吹き込まないようにしたり、狭いところに置かれている室外機の周囲に熱がこもらないようにしたり、ということなんだって。
ナルホドナルホド。

アレ?いやいやおかしいぞ。
そもそも「道路放出型」は、すぐ目の前に隣家があるわけでもないし、自分で育てている草花をわざわざその正面に置いているわけもない。
熱だってこもりようがないはずだ。

じゃあどうして「道路放出型」に「風除けルーバー」が付いた「亜種」が存在しているのか?




三日三晩寝ずに(ホントか?)僕が導き出した答え。

それは、ひとえに「優しさ」である。
それ以外にないはずだ。

つまり、「道路放出型」室外機を設置せざるをえなかった住人(店舗ならオーナー)が、「排気が通行人の皆様に当たってしまうのは忍びない。どうしたものか」と頭を悩ませた末、「風除けルーバー」なる便利品があることを知り、「これで皆様が不快にならないのならば」と、こころよく自腹を切ってそれを取り付けた。

その行動の裏にあるものは何か。
「優しさ」そのものではないか。
他者への無関心、不寛容が指摘される現代にあって、「無償の愛」とも言うべきこの心遣い。
この世もまだまだ捨てたもんじゃないね。

それが分かってからというもの、僕は、毎日ヒイヒイ言いながら汗を浮かべて歩く通勤路で、「亜種」の室外機を見かけるたび、その管がつながった先に暮らす、きっと仏のような顔をしているであろう住人(オーナー)を思い浮かべ、「アリガタヤ、アリガタヤ」と心の中で手を合わせる。
その瞬間だけは、砂漠の中に突然現れたオアシスに出会ったような、そういう穏やかな心もちになるのである。

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