見出し画像

10年前の希望

2011年3月11日、東日本大震災の地震と津波で大きなダメージを受けた交通機関。直後から陸路で空路で海路で人や物資を運ぶため、ありとあらゆる手段がとられていた。

「他の地域と繋がっている」「決して一人ではない」ということは大きな希望だ。

最初はすぐ近くだった。
仙台―岩切間の運行が始まり、鉄路が繋がり始めた。

画像6


東北新幹線の復旧まで仙台―福島を結ぶ臨時快速列車には、国鉄型の特急車両583系と485系が投入された。東北特急として活躍していた車両が、再び東北本線の主役として駆け抜けていった。

画像1

画像2


東京へ向かう高速バスは、まさにライフラインだった。
親戚もこれに乗って仙台に助けに来てくれた。

画像3


まだ周辺に瓦礫が残る仙台空港に就航した全日空と日本航空。
「羽田」と「大阪」の表示に、機体に書かれた「がんばろう日本」の文字に勇気づけられた。

画像4

画像6

画像9


4月25日の東北新幹線の運行再開は大きかった。
東京へ、盛岡へ、新青森へ、完全に元通りではないけれど、次に進む力となった。

画像7

画像8


復旧に携わる人がいる。運行に携わる人がいる。
だからこそ、どんなに絶望的な状況になっても、人々は少しずつでも前に進もうとする。

10年前、そこには勇気と努力と希望が確かにあった。

画像10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?