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温かい言葉を求めて

この頃、残忍な事件や気の毒な話が、毎日報道番組などで取り上げられて、なんだか日本が暗い気持ちで包まれているように感じるのは私だけでしょうか?

誰かを見下して自分を上に見るという行動は、何かの心理学で読んだことがあるのですが、ちょっとした発言に対しても、非難して傷つけている傾向が強いと感じます。

その中で、明るくそして優しい言葉を書いて、どんよりとした空気を変えようとする方もいます。

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最近、気候がよくなったので、散歩に出るようになりました。

実家の母の体調がよくないので、様子を見にいくついでに、散歩タイムを設けて歩きにいっていますね。コースを決めているのですが、実家がお世話になっているお寺を通るようにして、お参りもしています。

ろうそくに火を灯す時用に、箱にマッチを入れてくれているのですが、その裏にいい言葉が書いています。

スマホを持っている時は、とっさに撮影をして、家では書道のお手本にと参考にすることもありますし、門前の掲示板に書いている書を覚えておいて、家で創作書道で書くこともあります。(個人的な楽しみですので)

この頃、お寺の門前に貼り出されている言葉に、共感するという方が多く、写真に納めて、何か困った時に見るという方もいらっしゃると聞きます。

今、身近に「温かい言葉を聞く」という機会が少ないことや、世の中がなんだかギスギスしているせいもあるのかもしれません。

温かい言葉が言えない、素直な気持ちが言えない、その代わりに言えない言葉を見て、自分の言葉として吸収しようかなとも思うのです。

つい最近ですが、娘の文化祭の準備で、宗教(仏教の学校ですので)の先生が責任者の場所に、ある先生がいちゃもんをつけにきて、説教をされたようです。

しかし、責任者の先生が設置許可書を取っていることを提示して、その場は生徒の手前、丸く納めました。

後日、この宗教の先生が「きちんと設置許可書を取っているのに、怒られないといけないの?」というと「ごめん」と謝ったけれど、「ごめんなさいって丁寧に言わなきゃ、大人として恥ずかしいよ」と言って、きちんと丁寧に謝ってもらったといいます。

実は、「ある先生」とは校長先生で、宗教の先生はお坊さんであり、長年勤務されている方でした。

「恩に報いて感謝する」という教えがありますが、恩を裏切ってしまった時には、「謝る」ということも大切。

宗教の先生は、人としての礼儀にかけることが好きではない先生ですので、
どういう立場の先生であっても、強く叱ることもあります。

優しい言葉を求めるだけではなく、自分がいけないことをした時は素直に
「謝る」ということは、とても大事なこと。

この忙しない現代世界の中で「心から謝る」「過ちについて心から謝る」ということが欠如しているように思います。

少し、このマッチに書かれた3つの言葉を意識してみると、仕事でも家庭でも円満になっていくのではないでしょうか?

いえ、ギスギスした世の中を、少しでも優しい世界に変えたい。
変えられないとしても、変える努力を私たち個人個人が努力していきましょう。

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