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SNSでのつながりの儚さと虚しさ

最近幼なじみの急逝をきっかけに、全てのSNSへの投稿は一切止めた。見るのもほぼ止めている。

自分の心の中で「この世の虚しさや儚さ」が楽にならない限りは見ないと思う。華やかな世界や少し考えさせられることから、離れたくなった。

幼なじみの急逝の件もあるけれど、いつかSNSから一旦離れたいというのはあった。

SNSってのは匿名性があるから、会ったことがない人とでも交流が生まれる。その代わりに、切れるのは猛スピードだ。

私が今のアカウントでTwitterを始めたのが2016年。ブログ開設とライター業開始と同時ぐらいだったと思う。

次々とつながりはできた。でも、快適な環境だったかというとそうでもない。

相互フォローになったけれど、嫌がらせを受けたり、意見が合わないなどでフォロー解除されたりしたりだった。

いきなりブロックというのもあって「昨日までは面白おかしくやりとりしてたやん?」という事案もある。

後でブロック解除されてようやくわかった事実はあって、なんとまぁ大人気ない人からの噂でブロックしていたってのもあった。

一番虚しさを感じたのは「会ったことがある人からのフォロワー外し後の対応」だった。

Twitter内で仲良くしていて、実際にあった人はいる。

しかし、その後さまざまな事情で「付き合っていくのがしんどい、つらい」となってきて、最悪私からフォローを外さないと辛くなってしまった。

会っているから、その人の家庭のことは知っていたし、困っていることも聞いて、その後も交流は続いていた。いつまでも仲良くしていたかった。

でも、それは叶わずに縁が途切れた。

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SNSで知り合ったご縁は、会おうが会わないが、自分が「仲良くしたい」と思っていてもそう延々と長くは続かないのだろう。

でも、会ってはいないけれど、長年の付き合いをしている人はいるし、偶然同じ高校出身者だったという人もいる。

不思議と長く縁が続いていく人はいる。

その法則ってなんだろう?

考えてみたけれどわからない。なんとなく感じるのは「この人と架空の世界でのご縁であっても、なんとなく分かり合える」というエスパー的な発想だけれど、何か引かれる「ご縁」があるんだと思う。

私から離れていった人の中には、もうご縁を切ったはずなのに、思い切り私の陰口や悪口を言っているってのをきたことはある。

本人達は「あの人には届かないでしょ」と思っているんだろうけれど、悪い話は回って回って私の元にくる。

さすがに参る内容もあるけれど、「あー、またいうてる」「昔、そんなの嫌いっていうてたやろうに」と呆れる。人は何か化学反応を起こすんだろう

私とて、この数年で少しは変わったと思う。子育てといっても、もう高校生になる子供を持つ母親だし、それなりに人生経験を積んでるんだし、大人との醜い話し合いよりも、もっと難しいことに立ち向かっている。

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人はどんどん変わっていく。交友関係にも変化はあるだろう。

ただし、SNS上での交友関係は瞬時に切り替わって、ついていくのが大変。だから、SNS疲れってのも同時に出るんじゃないのかな?

別れは悲しいし、儚さと虚しさを感じることは多いけれど、いつまでも変わらずいてくれる仲間というか友はひとりぐらいはいるから、その1人を大事にすればいいんじゃないかなと思う。








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