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付き合って3か月。ようやく恋人になれた話

わたしはとんでもなく自我が強く、自分で道を切り開きたい人なんだ。

3月にコルクラボ合宿で自分のこれまでを振り返るコンテンツをやったときに私は改めてそんなことを感じたのだった。

そんな私だからこそ、恋愛体質ではあったけど彼氏によって自分のアイデンティティが崩れるのはすごく嫌だったし、恋愛で弱くなる自分を見るのはもっと嫌だった。1人でいれば仕事も粘れるし、つらいと言われる営業でも簡単に弱音を吐かない。自分の目標は最後までやり遂げる。

けれどそこに恋愛要素が入った瞬間にわたしは弱くなってしまう。彼から連絡がこないと不安になるし、会えないと言われると飽きたのかなって思っちゃうし、金曜にデートを入れると早く仕事を切り上げたいと感じてしまう。

だからわたしは彼との要素を普段の生活にあまり持ち込まないようにしていた。1人暮らししてから出来た彼もあまり家に泊めなかったし、一緒に写真も撮らなかった。見ると思い出してしまうから。連絡も1日に2回って決めて、自分の心を乱さないようにしていた。自分から連絡もしなかった。

そんなわたしだったけれど、今の彼に出逢って、少しずつ変わっていっている。弱い部分が見えてきていても気にしなくなってきたするのだ。

きっかけは1か月前祖父が亡くなったこと。あまり寝られずに静岡に営業に行ったとき、たまたま祖父が好きだったビートルズの曲がお店の中に流れていた。

なぜ沼津のうどん屋さんでビートルズの「Hello,Goodbye」が流れていたのかたまたますぎてびっくりしたけれど、気づいたらうどんを食べながら、涙が溢れていた。どうしようもなく切なくて、平日のお昼間の時間帯に彼に連絡をしてしまった。

いつも夜遅くのLINEは次の日の夜に見るという連絡不精の彼だったけれど、その日はすぐに返信をくれて、最後にこう締めくくっていた。

「辛いときは、2人一緒に乗り越えよう」

そっか、2人で生きていくってこういうことなんだって今更ながら気づいた。

わたしは最近になって結婚したくなったんだけど、それももう二度と失恋したくないという後ろ向きなきっかけ。1番は怖かったんだと思う。自分が変わっていくのが。相手のために弱くなっていく自分を見るのが耐えられなかったんだろう。

けれどこの人だったら弱い自分になってもいいと思った。何で?聞かれると論理的に説明はできないけれど、急にえいって勇気が出てきた。この人のために変わる勇気を出してもいいんじゃないか。もし弱くなって足りない部分が出てきたら補ってもらえばよいし、自分が強くなった部分があれば、相手を助けられる。弱くなってもいいから一緒にいられる時間を、もっともっと楽しみたい。

そう思って1か月弱。太い指がばれたくなくてつけたことなかった指輪を毎日つけて、一緒にたくさん写真を撮って、逢えない時間に見直して。「のろけててキモイ」って自分を客観視するのが嫌で話さなかった彼の話を両親にして。旅行帰りも帰りたくない!寂しい!って彼にダダをこねて。

彼のことで頭いっぱいの日々を送っている自分を許せるようになった。
自分自身の成長が1番じゃなくなった自分も、受け入れられるようになってきた。

先日彼のお父さんに会ってきて、こんなことを言われた。

「結婚はとてもいいものだ。今まで自分のために使いたいと思っていた時間を誰かと一緒に過ごしたいと思えるから。びっくりするくらい変わっていく自分をみるのも楽しいものだよ」

そして、その日を終えてやっと結婚がより現実的になった。入籍の日は決めたのであとは待つだけ。もう障害になりそうなものはない中で、胸をなでおろして。これからは2人で向き合うことに集中できるんだ。

わたしの心の中の鎧が外れて、いっぱい恋人気分を味わおうって素直に思えた。あと1か月の間しかないけれど、それでも今までみたいに弱い自分を怖がらないで出して、恋をたっぷり味わおう。

付き合って3か月。ようやくわたしのお付き合いが始まった気がした。




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