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【日々のつれづれ】憧れというニセモノの夢に騙されて

こんばんはみよよです。先日辛いと言ってきた仕事の後輩に「私のほうがつらいんじゃ!うるさい!」と言い返した大人げない先輩は私です。

さて。私の今の会社の採用理由は「前のめりだったから」ですが、先日上司に言われたことを実行すべく今日は婚活パーティーに行ってみた(さりげなく初めてです笑)仕事ピークが終わったら恋愛フル回転で行くための準備!

上記の時にも言われたのですが、「ターゲットが間違っているんじゃない?」という仮説を検証しようと手っ取り早く色々な男性に会える所に出向いたのです。
結果は7人中5人からアプローチをもらえて私のなけなしの自己肯定感もとりあえずなくならずに済んでよかった。(もちろん洋服も買いなおしたし、メイクは本読んで勉強したし髪は念入りに巻いたしがっつり前のめりだよ、何もしなくてもアプローチされるひとではないのだとほほ)
婚活パーティーは7人の人と4分ずつ話す→最後気になった人にアプローチボタンを押す→1人だけとカップリング成立→成立した人とお茶出来るという仕組みですが、お茶した人とは別に1人からも「よかったら連絡ください」とメアドもらいました。
さてそんなお2人の職業はというと「デザイナー」さんと「マーケティング」さんでした。ちなみに上記の15人の男性で主に会っていたのはメーカー職の技術職とか開発職の人です。ふむ。

もうね仮説が当てはまりすぎて笑ったよね、全然違うじゃん。今まで何やってたのというね。

余談だけど残りの2人はおそらく私の容姿がタイプじゃなかったみたいで、開始から会話放棄されました。なるほど、お好みの女性としか話したくないと。わかるわかるーってそんなことしていいのはイケメンだけだよ!鏡みろや!このやろーって思ったのは内緒です

余談は置いておき、なぜこんなことが起きたのか考えてみた。そこでコルクラボに行った時の佐渡島さんの言葉を思い出した。
「コンテンツを創る人、生まれたコンテンツを世にPRする人がいる。僕はPRする側かな(すみませんニュアンスだけとるとこんな感じ)」

私はよく「営業にぴったり」とか「営業っぽい」と言われる。だけどどこか違和感を覚えていた。で、それは自分が営業として自信がないからかなと思ったけど、そもそも自分は創る側の人間でいたいと勝手に憧れ続けていただけではないのかなと気づいた。

「創る側の人間になりたい」は本当に物心がついたときから。最初は女優さんになりたくて、中1の時から演劇部に入った。5年間いたけれど、自分が役者向きだって思えたことは一度もなくて、自信がなく大学の時は演劇を辞めてしまった。就活の時はアナウンサーとか記者になりたかった。自分という人間から言葉を通して世界に情報を発信することってカッコイイと思った。アナウンサーは速攻落ち、記者は大学4年の時に新聞社にインターンに行った。最終日の手前かなんかに銀座に朝放り出されて、だれでもいいからインタビューしてニュースにまつわる記事を書いてこいという研修があった。1人で銀座を歩いていてめちゃ泣きそうになった。結局新聞社も全て落ちてしまい、新卒の会社に行くことになった。

こんなに向いていないのにしがみつき続けるってどうしたんだよって今書いてて思うけど。他の人は知らないけれど完全に私の場合は単純に逃げていた。憧れを達成したら自分が素敵な世界にワープ出来て、素敵な人になれるんじゃないかって。今の自分は100%の力出している自分ではないんだと言い訳するために。

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お前は本気を出す前のフリーザか!(画像お借りしました)

「なりたい姿」と「憧れ」って似ているようで全然違う。なりたい姿は本気で自分が叶えたいと思っている姿。けれど「憧れ」はあくまで「憧れ」。正直ずっと持ち続けることも出来る。逆に言えば現実からずっと逃げ続けることも出来るのだ。

私は先日佐渡島さんという自分の中に憧れの人に会いに行った。会ってからは「憧れ」から「目標」に変わった。会いに行ったのは心の中で、自分の憧れで終わらせたくない、現実にしたいという想いがあったから。そんな経緯で佐渡島さんのさっきの言葉を聞いたとき、私は嬉しかった。

なぜなら私は「創る側」としては劣等生だけれど、コンテンツをPRした経験はたくさんある。中高生の演劇部も役者としては泣かず飛ばずだったけれど、裏方の仕事は大得意だった。いかに役者さんを、劇の良さを演出するかということをみんなで考えるのがとても楽しかった。大学生の時の映画館のアルバイトはアルバイトなのに、みんなで知恵を絞ってどうやったらフードが売れるか、いい売り場にしたいかを皆で考えたのが1番の思い出。新卒で就職した塾でもどうやったらみんなが楽しく働ける職場に出来るのか、みんなが来たくなる塾になるのかを室長と何度も話し合って、形にしていった。そして今。私は営業として自社のサービスを使ったらどんな未来が待っているかを想像させるために日々仕事をしている。私の憧れは憧れでは終わらない、現実に出来る。道のりは長いけれど。ワクワクした。

結婚も同じ。最初は好きな人とずっと一緒に過ごせるっていいなあという憧れからスタートした。だから私の描く家庭像はどこかしら憧れ部分が多かった。その1つが真面目な人がいいな、だった。

正直私は世間のマナーや常識はめっちゃ気にする。けれど、基本ふざけたい人間で、教育に関わりたいと思った私が教師にならなかったのは「もう君たち勉強しなくていいよ!無理するなよ、今日は鬼ごっこしようぜ」とか言い出しかねない性格だと気づいていたから。遊びたいじゃん。だから真面目な人に憧れていた。真面目な人と一緒にいたら、自分も真面目になりそうな気がして。結果自分が病んだだけだったという。

たぶん私はただひたすら現実から逃げていた。自分は真面目でコツコツと着実かつ平穏な人生を生きてみたかった。自分にないものねだりしていた。たぶんありのままの自分を受け入れるのが怖かったんだな。不真面目で前のめりで安定とかとらわれずにチャレンジしたいタイプの自分が受け入れられるかが怖かった。
だけど憧れを持ち続けたら永遠に現実にならない。目標にしないといつまでも夢は夢のままだ。だから自分にないものにあこがれるというのも大事だけど、ある程度自分が出来ることとか心の底で「本当はこういうことがしたいなあ」と感じている部分を見つけて、達成できそうな「目標」を立てるほうが生き方としては楽なのかなと感じた。自分が出来そうにないことを追いかけ続けるより、自分が本来やりたいことを追いかけて現実で叶えていく方が楽しそうだし、実際これまで生きてきてそっちのほうがワクワク出来た。

幸い今やっていることはすべて自分が目標を持てそう!ということばかり。なので今あることにまずは感謝して精いっぱい取り組む!今はバタバタだけど振り返ったときに少しでも目標に近づけたといえるために。




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