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大人に戻っただけだった

このとき、何故別れてからのデートのほうが楽しめたのか、ようやく理解できた。

愛されていると感じたとか、そういうことではなかった。

ただ単に、完全に大人の私に戻ったから楽になっただけだった。

元彼と私、二人きりの空間になると、私も彼も酷くお互いに甘える。本当に「酷く」。特に私の甘えようは本当に酷かった。4歳のメイちゃんのほうがよっぽど大人に見えるほど。(となりのトトロ参照)

元彼に対しては、自分のなかの幼児性が変換されることなく、そのまま出ていたのだろうと思う。

当初は自分でもびっくりしていた。こんなにも甘える面があるのかと、自分でも引いていた。

誰と居ても決して出ることのなかった面が、何故元彼に対しては出たのか。

それは元彼が先に甘えてきたからだと思う。

5歳年上で仕事でも上司でいつもしっかりしている彼だけど、付き合ってすぐに甘えてくるようになった。彼がそうだったから、「付き合うとはそういうことなのか」と引くことも疑うこともなく、「そうするものなんだ」と私も同じように甘えるようになった。ちゃんとお付き合いしたのは彼が初めてだったから。

彼と居れば無条件に出る、ということもまたなかった。

私が甘えるのは、彼が甘えてきた時だけ。彼がそうなら、私もそうする。彼が少しでも大人の空気を出せば、私も即座に大人の自分に戻る。自分から甘えることはなかった。必ず空気を読み、彼の顔を読み声を読み、確信が持てなければ甘えない。とても怖くてできなかった。

できないけれど、でも常に甘えたい衝動を抑え込むことで必死だった。

いつだって触れていたい。いつだって愛でられていたい。(この場合の触れるは手を握るでもなんでもかまわない)

でも彼の甘えるスイッチが入らなければ、私は必死に大人として対応しようとして、とことん自分を律する。

だからいつだって苦しかった。

別れた後のデートでは、当時はそんな自覚なかったけれど、「甘えない」決断をしたんだと思う。人とぶつかりそうになった私を引っ張ろうと体に回された元彼の手に怯えるほど、はっきりとした決断だった。

完全に「大人」として対応することを決められれば、それはそれで楽。いつも通りの自分で居ればいいだけだから。

だから自分のやりたいことも言えるし、やりたくないことは断れる。好きも嫌いもはっきりしていて、苦しさもない。

私のなかには確実に強い欲求として「こども」が居て、でもそれが出るにはたくさんの条件がある。自然に出ることはなく、出そうとして出せるもんでもない。でも出したくなくても出てきてしまうし、それを簡単に許すこともできない。だけれどもその「こども」と「大人」の解離が激し過ぎるから、その差を埋めていかなければ、私の人生はしんどいまま。

とてもやっかいだ。

そんなことをふと思った木曜日。

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