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自分の感情を大切に

ここ最近、一人暮らしのマンションを空け、実家に滞在している。前よりも自分と親との間に一線引くことができているような気がして、長めに滞在できている。

だからなのか、普通の家庭に見えた家で、なぜ私は愛着形成に問題が起きてしまったのかを冷静に見つけ出す瞬間がある。

それは本当に些細なことで、でも確実に私のなかに積み重なってきたもの。

今日、父が昼食に冷やし中華を買ってきた。買い物へ行く前に昼はどうするのかと聞かれ、「冷蔵庫にあるものでつくって食べるから大丈夫」と伝えていたのに、私の分も買ってきた。私はごはんが食べたい。

それでも買ってきてくれたしなと半ば仕方なく食べ、それを片付けていたとき、父は嬉しそうに「冷やし中華食べたのか」と声をかけてきた。嬉しそうだった。

あぁ、私はこうして、父を喜ばせることを選んできている。自分の「ごはんが食べたい」という思いは、父を喜ばせることより下に見えてしまう。

夜、お風呂から上がると、父と母はクイズ番組を見ていた。「ぺんならこれわかるだろ」と父から声をかけられ目をむけると、ディズニーの問題。私はディズニーもジブリも大好き。

かけられた声の返事代わりにさらさらと回答する。それに対して父は、感心するでもなく、「俺にはさっぱりわからん」とため息でもつくように、ぼそっと言うのだ。

あぁ、昔からそうだったなぁ。私が好きな話をしても、父は「わからん」とそっぽを向いてしまう。だから私は好きなものの話をしてはいけない。

自分でも、極端な思考だなぁと思う。でも小さい頃から、私はそういう生き方をしてきた。すぐに拗ねてしまう、すぐに怒ってしまう父を見るくらいなら、私は自分を我慢したほうが平和に生きていける。

「もういい」「わからん」この二つの言葉が私は特に怖い。冗談混じりに言うのは別として、マジなトーンで言われると、それ以上その人と距離を詰めることはできなくなる。伝えなければいけないことも、まるで声にならなくなる。

愛着形成の本を読むと、母子関係を軸に書かれているものが多い。確かに私も母との関係のねじれは感じる。でもそれだけじゃない。父だって私の親。私は父母どちらに対しても、気を使って生きてきている。

昔通ってた心療内科の先生にも、今通ってるカウンセラーさんにも言われるのが、「親のお守り(おもり)をする子だった」ということ。子どものように怒ったり拗ねたりする父に、愚痴を吐き物に当たる母。アダルトチルドレンだと言われたこともある。

二人が悪い人間だとも悪い親だとも思っていない。人間らしいなと思う。ただそんな些細なことを見つけてしまう、繊細な受け止め方をしてしまう私だった。

だからこうして、これは嫌だったんだ、これは自分を殺していたんだと認識して、本当はどうしたいのか、本当の私の思いはどこにあるのかを見つけて、ちゃんと自分として生きていく練習を積み重ねなきゃいけない。

それは自分のための責任。

私は今日、お昼は豚肉を野菜と炒めてごはんを食べたかったし、ディズニーが大好きだから聞かれた問題以降も全て答えられた。でもクイズ番組は気を使ってしまうから、いっそのこと見たくない。これが本当の私の思い。

まだ、伝えられなくていいと思ってる。自分の思いをちゃんと見つけられただけで大きな成長。今日も自分を褒めていこう。

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