自責傾向が自分を追い詰める
今年のGWは、ちゃんと大型連休だった。
4/28まで働いて、そこから5/6までまるっと一週間のお休み。
20分程度の月末処理とLivelyTalkのルームを計3時間程度開けたこと(入室なしのため終始読書をしていた)を除いて、しっかりとお休みをとった。
これほど長いお休みは久しぶりだったけれど、大半を横になってスマホをいじって過ごしていたように感じる。
それほどまでに疲れていた。
正直、駆け出しフリーランスとしてはこんなに暇であってはいけないと思うし、現状金銭面に余裕は全くない。むしろ赤。
それでも連休中動けなくなるほど、疲れていた。
私は自責傾向がとても強い。それに、自分の存在価値を見出せていない。
自分を追い込み苦しいと感じることでようやく、ちょっとここに居ても大丈夫かなと思えるようになる。それくらい癖の強い人間である。
だから連休前、必要以上に自分を追い込んで働いていた。時間や体力の面ではなく、精神面で。
この連休中、突然号泣したり、狭い台所の廊下でぼーっと座り込んだり、自分でも様子がおかしいなと思うほどだった。
友達に自分の仕事の仕方や生活の様子を伝えると、「頑張り過ぎ」「真面目過ぎ」と言われる。でも、私の感覚としては、「寝る時間もないほど働いているわけじゃないし、それにお金もともなってないし、こんな状況で頑張れていない自分は、人として、大人として落ちこぼれている」である。
そもそも校正の仕事は向いていないのかもしれない、とさえ感じる。
完璧でなければならない仕事。完璧が当たり前の仕事。そんな認識がある。
私のそもそもの完璧主義と合っているように見えるけれど、自責傾向との相性がとても悪い。
頑張れば頑張るほど自分を勝手に追い詰めていき、その無理がふとしたときに先方へ怒りとなって向いてしまうことがある。「どうしてこんなにやっているのに」と子どもが癇癪を起こすように、自分のなかで切れてしまう。
…思い返せば校正の仕事に限らないか。
どの職業でもどの職場でも、同じことを繰り返してきたような気がする。
器用ではないけれど真面目で、それなりにコミュニケーションもとれて、残業も厭わない。どの職場でも割と重宝されて、それなりに評価もされる。
でも最後は自分で追い詰めすぎて、苦しくなって辞めてしまう。
フリーランスのいいところは、「辞める」以外の選択肢があるところだと思う。(正社員でも会社に相談すれば、いろんな選択肢が望めるのかもしれないけれど)
今日からまた仕事が始まるけれど、少し抑えながら働いていこうと考えている。
求められている範囲のことを、与えられた時間と金額のなかで熟す。
私はこの「熟(こな)す」という言葉を学ぶ必要があると思う。
今までの私の働き方は、到底長く続けられるものじゃない。それは結局、自分のためにも先方のためにもならない。ありがたいことに先方は、「長く働いてもらいたい」と言ってくれている。私も長く働きたいと思っている。
休んだようで休んでいないような連休も終わり。
ほどほどにやっていこう。