見出し画像

暑い日には暑いと言って

「今日はいい天気ですね」なんて常套句から、会話をしたことなんてない。
そこから、どう話を展開していくのか、互いの印象にどう影響するのか、皆目見当がつかない。

でも、日本語に今も残る常套句は、ただ使っていないだけで、まだまだ魅力を隠しているのかもしれない。
髪を下ろした超サイヤ人に、それを教わった。


2019年の夏、妻と京都旅行に行った。見たい物、行きたい場所が多すぎて、3日間で45km歩いた。とにかく名所という名所を、汗だくになりながら、片っ端から巡る、べらぼうに暑い日のこと。

龍安寺を見学し、次の目的地までのバスを待っていた。
時刻は午前11時頃だったと思う。バス停の位置を確かめるのに少し手間取ったため、乗りたかったバスが出発してしまった。
動く冷房を見送り、気温と反比例するかのように気分は下がりつつも、次のバスを待つ行列に加わった。

ジリジリと、凶器のように刺す日光。座っていると地面の照り返しも非常に辛い。

「暑い」
「暑いね」

念願の石庭を鑑賞した感動も、その猛暑に掻き消されていく。

「…あーつい」
「…あつーいね」

僕たち夫婦は、うわごとのように気温への感想だけを繰り返す。

「あぁ…」
「……」

ギラギラとした歩道に列が伸びていく気配がする。頭にタオルをかけて俯いているので、実際にどのくらいの人がいたのかはわからない。
しかし、決して少なくはないはずの人数の割に静かなのは、誰もがその灼熱に辟易しているからだろう。

「はぁ…暑い」
「…ねぇ」
「アツイデスネ」

あれ、声が増えた。暑さによる幻聴ではない。ゆっくりと顔を上げ、その声の主を探すと、僕のすぐ右側にいた。

超サイヤ人に無理矢理櫛を入れて下ろしたかのような、目の覚める金髪と碧眼。
それらを実に美しく映えさせる白い肌は、日焼けの跡だろうか、目の下がピンク掛かっている。
年齢は定かではないが、おそらく20代前半ぐらいであろうか、明らかに西洋からおいでなさった、少々恰幅の良い男性がそこにいた。

「…あー」

返事をしなければ。京都は観光地だ。外国人にも多大な人気を誇る。このような状況も勿論想定していたはずだ。いや、してたっけ。脳がぐるんぐるんと回る。ハムスターが飽くまで足を動かしているような、空虚の回転。何か言わなければ。何か。何か。そういえばこの人、どこから来たんだろう?

「Where are you from?」

決まった。英検準2級の力を見たか。

「スイスから来ました」

日本語が上手ですね。そうですよね。暑いですね、って、話しかけてくれましたもんね。
猛暑とは明らかに違う理由で、体温が上昇するのを感じる。
しかし、せっかく話しかけてくれたのだから、ここは異文化交流のチャンスだと思い、全身を駆け巡る羞恥を押し殺して再び口を開くことにした。

「日本語が上手ですね」

思ったことをそのまま言ってしまった。この人は、そんなことは言われ慣れているんだろうな。

「ありがとうございます。去年は東京、今年は京都にホームステイして日本語の勉強をしています。来年の夏は福岡に行く予定です」

「えっ。私たち、福岡から来たんですよ!」

「本当ですか! 今、宿泊先を探しているんですけど…」

すみません。それは無理です。


不思議なもので、一度話し始めると会話は弾んだ。もう十分に日本語は上手なのに、更に来年の夏、何を勉強すると言うのだろう。その飽くなき向上心に舌を巻く。
結局その人とは同じバスには乗ったが、すし詰めのバスの中で碌にお別れも言えないまま、僕たちが降りるバス停に着いた。
旅先の出会いとは、そんなものなのだろう。短尺の、良い土産話ができた。

暑い、暑いと唱え続けた結果生まれた小さな出会い。暑い日に暑いと言うと、もっと暑くなる、なんて言う人もいるけれど。気温は、その場にいる誰もにとって、紛れもなく共通の話題であるのだと思った。

「今日はいい天気ですね」で始まる会話はフィクションではなく、現実に連綿と続いてるのだと、その時初めて確信した。


彼が言った“来年の夏”は2020年の夏。コロナ禍の夏。彼は今どこで、どのように過ごしているのだろう。それだけが少し気になっている。
今や世界的に共通の話題となった新型コロナウイルス。
天候や気温のように気軽に無神経に、口に出す話題では無いそれは、今も夥しい数の人々の生活に降り注いでいるのだと、思いを馳せる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?