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ハクビシンの夜

これは、わたしの家でおこった不可思議な音にまつわる文章と、
不思議な現象について書かれた本の紹介です。

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床下で、いきなり獣がもつあって暴れるような騒然たる音が起こった。それはそのまま床下を猛スピードで移動し、居間に続く台所のシンクの下辺りにドカンとぶつかった。
そろそろ春になろうかというが肌寒い、夜のことだった。

祖父から受け継いだ古い一軒家は特にこだわりのあるような作りではなく、そこにやはりあまり住居についてこだわりのないわたしが独りで住んでいる。トイレを時代に合わせて洋式にし、ベランダに雪が積もって困れば屋根がけをした。思いついた時に特定の箇所を直しているので、家の中はパッチワークのようにちぐはぐになっている。
居間は畳がささくれて、これも年代ものだった床設置型の冷房機から漏れる水を吸ってキノコが生えてきたのを限界に数年前、フローリングに張り替えた。

そのフローリングの床下に、どうも動物が入り込んでいる、ということらしい。猫にしては荒々しく、ネズミにしては大きい。確かめるのは恐ろしくもあるが、どちらにしろフローリングの床に開口部はどこにもなく、床下を覗く手段は無いのだ。
息を潜めて次の音を待ったが、その夜はそれきり鳴らなかった。

その翌日のこと、夕暮れ時に外出から戻ると自宅に続く塀の上にずらりと並ぶ、毛の生えたものがあった。大型の親らしいものと、小さい子どもが4匹。猫にしては体が細長く鼻がとがっている。

さては昨夜の騒ぎはこの獣の仕業だったのか。
親とはしっかりと目が合った感覚があったが、怯えや慌てる雰囲気は無い。悠然と塀の上で方向転換し、ちょこちょこと跳ねるように走る子どもを引き連れて去って行く様子は、
「このように子どもが生まれ騒々しく、お騒がせしました。何とぞ大目に見てください」
と言っているようで、微笑ましいものでもあった。

床を隔てて動物の家族が住むというのは、民話チックで楽しい。そして間借りの義理だてだろうか、以来コソリとも物音を立てないところも好ましい。などと数日は呑気に構えていたのだが。
調べてみると、それはハクビシンという獣らしい。ベッドタウンとはいえ森も林もないこの地でも、旺盛に繁殖しているそうだ。更に『ハクビシン』と検索すると『駆除』というワードが紐付けられ、そこには彼らがどんなに家屋に害を為すかと、累累と書かれているのであった。

獣の幸せは願うが、わたしもわたしの巣を守らねばならない。暖かい民話的気分は、実際的な現実に冷凍された。ハクビシンには申し訳ないことだが懇意の工務店に連絡し、床下に獣が住めないよう施工の依頼をするわたしの顔は、つまらない常識人のものとなった。

工務店の職人は、以前別の部屋にシロアリが発生した時にも見せた手際の良さで、チェーンソーで床を四角く穿つと、身軽に床下へと入っていった。ハクビシンが家屋に為す害とは、糞害と食べ残した動物の腐敗などによるものらしい。
さぞおぞましいものを見てくるのだろうと予想すると、わずかに鳥肌立つ。しかし職人は涼しい顔で戻り
「どこにも動物が入った様子は無いですね」
と、床下は綺麗であったことを教えてくれたので、わたしは安堵の胸を撫で下ろしたのだった。
更に、床下が台所と基礎で別れているため、台所の床にも穴を開ける必要があるとのこと。元より家にこだわりのないわたしであるし、穴は扉にしていずれ床下収納を作るのも良かろうと、続けての施工をお願いする。結果、台所のほうの床下にも獣の形跡はなかった。

ハクビシンによる害はなかった。しかも元々居なかったということは、小さな子どもを育てている獣を冷酷にも追い出すという残酷な行為に、我が手を汚すことにもならないのだ。この一件は一番めでたい結末となったのであった。

よかった。と、思ってそのまま2年が過ぎ、ふと思った。
それではあの時最初に聞いた、そもそもの事の起こりの荒々しい物音は、なんだったのだろう。しかもそれは、居間の床下から台所まで貫通して通り過ぎたのだ。居間と台所はコンクリートの基礎で分かれているというのに。

驚くべきはこの2年、そのことに思い至らなかったことだ。
床下が汚れていなかったという安堵と、獣を冷酷に追い払ったのではないという安堵。
ふたつの安堵で最初の物音への不安にまで、安堵で蓋をしてしまったということだ。

あれ以来、騒々しい物音は無い。だが、トントンとノックするような音はたまに床下から台所へ、そしてシンクの下へ、あることはたまにある。
不思議と恐怖の感情は無い。
しかし以前と違うのは床下を覗くことのできる、扉があるということだ。

わたしの家で起こった不思議な音について書きました。
わたしはこういった不思議な話が好きで集め続けています。
昔、集英社『小説すばる』にて7年連載したものが、こちらの本『誰かの見たもの(大日本図書)』にまとまっています↓

話し言葉だけでできている不思議な話が70個以上入っています。

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書店ペレカスブックにては、更に集めたものを『記憶の本』として、このようなミニ手製本にしています↓

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オカルトが好き、とか、幽霊を信じている、とかいうのとは少し違って。
不思議を見てしまう人間の心が面白いな、という感じ。
大好きなおばあちゃんの幽霊だったから怖くなかった、みたいなところに人間らしさを感じます。
ペレカスブックにお越しの際は、ぜひひとつお持ち帰りください。
1個150円なり。
おしまい。

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