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大学1年生、家出する。

一緒に住んでいた家族との折り合いが付かず、
大学1年生の冬に家出をした。

家出することがバレたら怒られると思い夜にこっそり荷物を車に詰めて何も言わずに家を出た。
そしてそのまま40km離れた隣町まで車で走って、季節労働者の人が泊まれる民宿に転がり込んだ。私は、大人になるまで(大学を卒業して経済的・精神的に完全自立するまで)生き抜けるのだろうかとぽつりと思った。

家出してでも自由になりたかった。
〝このままだとあなたの心が壊れる、逃げなさい。″と相談していた人から言われ初めて、自分の心が無自覚に傷付いていることに気が付いた。
施設に保護されるほど重度なことが起きていた訳ではないけど、人格の否定や理想の押し付け、お金の支配、家族の希死念慮、耐えるばかりの毎日で生きづらいと思っていた。そうか、もう逃げないといけないんだ。今の自分は、ハッキリとした診断はつかないけどきっと傷付きまくってることが分かった。

相談していた人が賃貸の一覧や生活費の試算を渡してくれてひとり暮らしをするための後押しをしてくれた。でも実際はいきなり家出して賃貸を借りることな出来なくて、未成年ゆえに連帯保証人として親のサインが必要だったり事前に入居費用が必要だったのでうまくいかなかった。なので、
即入居できる民宿にとりあえず身を置いた。
「家出したら親が怒るのでは」と怯えてたが全く連絡も入らず、心配すらされなくて悲しかった。

【金銭面】
家出してから1番の困りごとはお金で、民宿の支払いなどをしたら銀行口座の貯金は数千円程度しか残っていなかった。元々貯金もなかったので崖っぷちに立っていた。
すぐにでもお金が必要だったので、派遣に登録して手当たり次第バイトを始めた。ホテルの皿洗い(当時は食洗機がなく手洗い)、農作物の選果などなど割と体力が要るバイトをしていたと思う。
明日生きることだけを考えていたのでとにかく短絡的になっていて色んなバイト先を吟味することもできていなかった。
皿洗いバイト先で働いていたおばあちゃんが真冬の−20℃のなか家まで車に乗せて送ってくれたりしてそれが少し楽しくて絶望的な状況に小さな居場所ができた気がした。

【民宿生活】
宿泊者は私だけで六畳一間を借りた。古い建物だったので備え付けの灯油ストーブを焚かないと部屋は0℃になる。灯油はポンプで自分で入れるタイプ、そして灯油代は自分で払うのであんまりストーブを使いたくなくて極寒の中震えながら寝ていた。骨の髄まで凍るような気持ちだった。
お風呂は大家さん家族が使う湯船と共用で洗濯機は100円を入れるやつだった。とにかく寒いのとお金がかかるのがネックで、次は絶対に暖房をケチらず暖かい環境に身を置ける自分になりたいと強く思った。1人で一軒家の一部屋にこもって静かに生活する孤独感と疎外感に早く慣れたかった。その頃はインスタやSNSで同じ大学の友達たちの華やかな生活がとても目について、自分の生活と比較しては落ち込んだ。飲みに行ったり旅行できるお金があっていいな、、どうしてこんなにも惨めな気持ちになるのか。メルカリで買った1000円のボロボロのリュックが壊れて、身なりも汚くて本当に自分が嫌になった。

【決意したこと】
結局、ボロボロの状態で食い下がる性格ではなく反骨精神がとにかく強かったので、こんなドン底にいる自分が這い上がって生活できたら凄くない??という思考になった。今すぐには無理だけど絶対に大人になるまで生き抜く、と。

幸い、大学で似たような状況にいる友達がいたり「俺なんて貧乏学生だったから白米のおかずを白米にして食べてたよ!(?)」と経験談を語ってくれる大人がいて共感したり、バイト先で助けてくれる人や相談できる先生がいたので「こんな方法もあるんだ!」と選択肢を知って、居場所や逃げ道が少しずつ出来ていったので前向きに立て直していけたのだと思う。

残りの大学3年間は家賃2万円のアパートを借りて、20歳になった時に連帯保証人なしで借りれる奨学金を申請した。何とか卒業して現在は就職して自立できた。暖かい部屋にも住めている。
ここまでなんとか来ることができて、周りの環境と人に感謝です。細々となんとか凌いできて本当に良かった。皆さんのおかげで自分がいることを忘れずに24歳もやっていきます。


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