don

▶︎見慣れた光景や、あたり前だと思っている日々からこぼれ落ちる瞬間を掬いとって、すでにそ…

don

▶︎見慣れた光景や、あたり前だと思っている日々からこぼれ落ちる瞬間を掬いとって、すでにそこにあるモノを再びあなたのもとへ、写真を撮って贈ります ▶︎野菜や作り手の、ヒトモノコトを写真で記録しています ▶︎地場野菜の直売所勤務@東京 ▶︎撮影依頼はInstagramのDMで📨

最近の記事

其の理由

横目に、通り過ぎていった景色が 数秒あとに無性に後ろ髪ひかれた。 そんな時、ありませんか? 車を運転していたのでそう思っても止まれなかったから、スルーせざるを得なかった場所があるのだけれど、また別の場所で同じ感覚になり、止められる場所を探して、カメラを片手にその場所まで。 写真を撮るようになってから、それまでとは違って、視点が増えたり、変わったりしたのがやり始めて良かったなと思うひとつ。 複数人で同じ被写体を撮っても、アングルや構図、縦位置、横位置、切り取り方が違うの

    • 大事な要素

      野菜や果物の写真を作品にしたい自分にとっては「美味しそう」なことは大事な要素だ。 そう思うひとつに「色味」がある。 SNSにupするのがmainだったので、デジタルで撮影した画像はモニター画面(iPhoneやapple Thunderbolt displayなど)で確認しながらRaw現像し、公開していました。 ネットプリントなどをして、紙に出力することもほぼしておらず、不自由に感じることは特にありませんでした。 仕事で販促媒体に写真を使ったときに、まれに、イメージしていた

      • 撮れない理由

        心に余裕が無い状態では、日々の中にある煌めきを感知する能力が低下してしまい、結果、写真が撮れなくなっているのではないかと考えています。 もしかしたら、言い訳かも知れない。 こんな時だからこそ、撮れるものがあるのかも知れない。 心の何処かでその様に想いながらも、ここ2ヶ月くらい年度末と新年度の準備などに追われ、日々をドタバタと過ごし、作品が撮れていません。(日常の写真も、撮る枚数が減っていると感じます) それ以外に理由として思い浮かぶのは、写真を作品に昇華させるにあたり、コ

        • その撮影は能動的か、受動的か?

          そこに誰かがいたであろう/いるように感じる「気配」をとらえたとき、心が動くときがある。 気配とは、微弱な電気が人や物質に静電気帯電する現象がその正体なのではないかと言われているそう。 逢ったことが有る、無い関わらず、気配を感じたとき、誰かのことを想いながらシャッターを切る。それは自らの意思で撮っているつもりでも、撮らされているのかも知れないなぁと、撮った写真を見返してふと思った。 感じたこの気配は、幽霊などの怖さではなく、眼差しがあたたかな、包まれるような心地よさだった

        其の理由

          眠れない宵の戯言

          最近の自分は写真を撮る意欲が湧かないことを端境期(はざかいき)の所為にして、やり過ごしている 春だから?という理由で、身体の怠さ、やる気のなさ、眠気に一向に逆らえずにただダラダラと本を読んだり、Netflixで動画を貪る日々。よく言えばインプットする時間。 花粉症と診断を受けたわけではないから本当のところはわからないけれど、もしかしたらここ最近の不調はそれが理由なのかも。 とにかく怠い、寝ても醒めてもだるい、なんだこりゃ。過去イチ、シビれる春だ。 せっかく誕生日月だと言うの

          眠れない宵の戯言

          Portfolio

          みなさん、こんにちは。どんくんと呼ばれて数十年。 本名を知らない人も多いのですが、改めまして、さとうひろきです。 このnoteに辿り着いていただき、素敵なご縁をありがとうございます。 (このnoteは、野菜を販売する職業に携わる傍ら、写真撮影をしている自分の写真をまとめた記事になります。) まずは、さらっと自己紹介から。 東京の西側・多摩地域で農家さんが育てた野菜を自分たちで集荷して、とれたての野菜や果物を販売する小売店(直売所)で働いています。この仕事に携わる中で、農家

          Portfolio