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恵比寿の街の大クスノキ

 昨年まで、恵比寿の出版社に勤めていた。職場がガーデンプレイスタワーにあったので、入社してはじめのうちは、JRの改札を出て右手に延々とつづくコンコースの中を歩いて通っていた。

 やがて、ちょうど今くらいの春らしい暖かな風が渡るようになった頃から、人だらけのコンコースを歩くのがもったいない感じがして、改札そばの階段を降りて街路樹の並ぶ朝の歩道を楽しむようになった。

 道沿いには芸術か駄作かわからないヘンテコな石のオブジェや、工事の施工者が気まぐれで造ったような狭く小さな草広場があって、ぼくはそれらを指で撫でたり、広場の草かげに隠れて暮らすのら猫に気に入られようと遅刻も気にせず立ちどまって話しかけたりしたものだ。

 人びとが足早に職場へと向かうコンコースのほんのすぐ脇に、こんなに愛らしくこじんまりとした平和な世界が佇んでいる。そういうことに気づいた自分が、ちょっと誇らしく思えたりもした。

 小広場を過ぎた地点から、傾斜のある坂道が始まる。坂の先に、滑稽じみて高層のガーデンプレイスタワーがある。

 灌木の植え込みがガードレールがわりに続くその道をゆっくりと上がっていくといつでも、少しずつ、神妙で清々しい心持ちになった。

 坂の途中に生える、とんでもなく大きなクスノキのためだ。

 有名バレエスクールが入る洗練された建物のすぐ前に立つ、樹齢がどれほどか想像もできない大クスノキは、神木めいた威厳をたたえながら、一方で不思議な安心感をぼくに与えてくれた。

 大木の前を過ぎるときは一度立ちどまり、道の前後から人が来ないのを確認して、「おはようございます、今日もがんばります」と口に出さずつぶやき樹皮のところどころ剥げた幹に触れるのが習慣だった。

 自分はこのクスノキになぜこんなに愛着を覚えるのか、非常に不思議だった。折にふれてその理由を考えたりもしたが、よくわからなかった。

 わからないのは今も同じで、そもそも出版社をやめ恵比寿を離れてからは、あのクスノキを思い出すこともなくなっていた。

 それがどういうわけか今日、いま、ビールを飲みながらnoteでも書こうかとパソコンを開いたときに、大クスノキが頭に浮かんだ。だから書くことにした。

 書いているうちに、またこれも唐突に、奇妙な愛着の理由に思い至った気がした。逗子にある、母方の墓所だ。

 埼玉生まれ埼玉育ちのぼくにとって、小さいころから、海と小山に囲まれた逗子の街はとくべつな場所だった。

 訪れるのはいつでも墓参りや法事が目的だったけれど、家族に連れられて足を運ぶ菩提寺と、桃源郷のような裏山の墓所には陰気で湿った印象はまったくない。

 気を抜くと後ろに倒れそうになるほど傾斜のきつい石段、周囲を埋めつくす木々、小鳥のさえずり、大空をゆったりと舞うトンビ、山と土のにおい、駅前で買った仏花や酒、おはぎや缶ビールに線香の入った袋と、寺で借りた柄杓と水桶を家族で手分けして持ちはこんだ記憶。

 家族の思い出はもちろん楽しいものばかりではないのだけど、逗子のあの墓所とともに思い出される父や母や兄や祖母の顔は、どうしてかいつも必ず笑っている。

 そしてその、笑顔の家族たちを頭上から見守るように広がる、大小無数の裏山のクスノキの、濃く深い緑の葉も、いつでも同時に思い出される。

 そのことに、本当にいま、noteを書きながら思い至った。

 恵比寿の街の坂道に立つ、あのクスノキの豊かな葉の色の深さに、知らずのうちに裏山の墓所と、家族の笑顔を重ねていたのかもしれない。

 ビールはいつのまにか空だ。

 大クスノキ、それから家族に、いま無性に会いたい。

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