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私は今日も、女子をこじらせて


 私のパパは口が悪い女の子がお嫌い。私が「うるせぇ」、「黙って」とか言うと、「親にそんな口をきくな」とか、「女の子らしくしろ」などとのたまう。戦時中うっかり敵国語を発してしまった人くらいにはキレられる(知らんけど)。
 私のパパはミニスカートがお嫌い。私が短いスカートを履いて、足を出して出かけようとすると苦言を呈される。まぁ、短いスカートが嫌というか、娘がそういう格好で出かけるのが心配なのだろう、たぶん。
 当たり前だろ、と言う人もいるかもしれない。でも私には、それらがすごく窮屈でしんどい。言われたことを自分の中でうまく消化できなくて、モヤモヤする。好きにさせてよ。でも、言い返すと100倍返しにあうから言わない、言えない。胸に何かつっかえた感じ。正しく言葉にできないのもつらい。そうやってしまいには、「なんで女に生まれちゃったんやろ。」と思うのだ、いつも。

 お洋服が好き。母は服のセンスがいいので、よく一緒に買い物に行く。「あのワンピ愛いね」、「このアウターは絶対使える」って、キャッキャする。ふわふわのチュールのスカートとか、リボンのついたバッグは本当にかわいい。スリットの入ったパンツとか、ちょっと個性的な柄のTシャツとかも素敵。母は、アドバイスはくれるけれど最後は絶対自分で選ばせてくれる。それも嬉しい。
    家に帰って、鏡の前でファッションショーするのも好き。今度この組み合わせで着てみよう、やっぱこれ可愛いなー、頭のなかはそんな感じ。でも、ときどきふっ、と我に返る。お洒落したくなるのはいつも、誰かに会うから気合いを入れたいとき。見られるためにだけお洒落するなんて、ほんとはあんまり好きじゃないのかな。

    メイクが好き。コスメレビューとか、暇だとつい見ちゃう。夜更かししていると開催される、深夜のメイク研究会。ジルスチュアートのコスメとか、ポールアンドジョーのコスメは憧れ。可愛いコスメでメイクするのっていいよね。自分の顔が少し可愛くなるのも嬉しい。春はコーラルピンク、夏はオレンジ、秋はテラコッタ、冬はボルドー。季節に合わせたメイクも素敵。「あぁ私、女の子みたいなことしてる!」と思える。お化粧は楽しい、そしてメイクした私は美しい。でも、ときどきふっ、と我に返る。私、お化粧するのが好きなのかな、それとも化粧している女の子らしい自分が好きなだけなのかな。

 好きだからその服を着ているのか、その服を着ることを好きにならざるを得なかったのか、もうよくわからなくなってしまった。ただ女の子を求められているから、やっているだけのような気すらしてしまう。そんな私は、あくまで「女子のまね事」をしているにすぎないのだろう。でも私だって、かわいいねって言われたいし、ちやほやされたいんです。ほんと拗らせてんなぁ。あぁ、私ちゃんと女の子になりたい。
    でも「女の子であること」と、「私らしさ」の共存は可能だろうか。お口が悪いと女の子にはなれませんか。やっぱり、肌の露出は控えないといけませんか。

 何を言えるかが知性、何を言わないかが品性。言っていたのはスピードワゴンの小沢さんだっけな。「言わない」とは即ち、「控える」ということだろう。荒っぽい言葉遣いを控える、肌の露出を控える。何でもかんでもさらけ出さない。確かにそれが、品性というものなのかもしれないけれど。

 一昔前に比べると、男女は随分平等になった。立場も、嗜好もジェンダーレス。女性の政治家は少しずつ増えてきているし、男性でメイクを嗜む人も増えている。ランドセルだって、男の子は黒、女の子は赤の時代から考えると、とてもカラフルになった。素敵なことだ。でも、いっそ「女の子はピンク」と決めてくれていた時代の方が、楽だったなとも思う。だって私たちは、選ばなくてはならない。自分だけの「かわいい」を見つけないといけない。ありがたいことだけれど、ちょっと怖い。言葉遣い、露出、ファッション、メイク……。それらに関して言われるいろんな「らしさ」について、自分の意見を持つのは案外難しいから。
 私はいつか、自分の女子性を使いこなすことができるようになるのだろうか。

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