私のパパは口が悪い女の子がお嫌い。私が「うるせぇ」、「黙って」とか言うと、「親にそんな口をきくな」とか、「女の子らしくしろ」などとのたまう。戦時中うっかり敵国語を発してしまった人くらいにはキレられる(知らんけど)。 私のパパはミニスカートがお嫌い。私が短いスカートを履いて、足を出して出かけようとすると苦言を呈される。まぁ、短いスカートが嫌というか、娘がそういう格好で出かけるのが心配なのだろう、たぶん。 当たり前だろ、と言う人もいるかもしれない。でも私には、それらがすごく
カフェに行って、コーヒーと紅茶、どちらを頼むか悩めるようになったのは、いつからだろうと考える。 コーヒーがまだ飲めなかった頃、私は「コーヒー好きは相当苦みに強いんだな」と、思っていた。けれど、ブラックコーヒーを普通に飲めるようになったとき、苦みを感じなくなった訳ではなかった。苦みは苦みのまま、それを美味しいと思えるようになった。 仕事や人間関係、それから自分の人生も同じ。いつか、その苦みを美味しく頂けるときがくる。色々なことに、きっと慣れる。…というのが、私と同期の
幼稚園のころ、私はよく誰かに殺される夢を見ていた。 崖で突き落とされて、落下中にはっと目がさめたり、お腹に刃物を突き刺さされ、夢の中で意識が無くなっていくのを感じつつ、ゆっくりと目がさめたり。 いま思えば、現実世界での漠然とした不安が、夢にも現れていたのだと思う。 ✳ この春に大学を卒業し、社会人として働き始めた。 仕事には全然慣れなくて、いつもどこかがミスっている気がする。漠然と不安だ。 案の定、大抵の場合はどこかが微妙に間違っていたり、取り返しがきくライン
5年前の写真に写る人たちが、マスクをしていなかった。そのことに、私は嫌悪感を抱いた。当たり前にしなければならないことを、やっていないなんて。けれど、マスクをしていない彼らは、何もおかしくない。5年前はコロナなんてなかったのだから。むしろマスクをしている今のほうが、異常事態なのだ。 コロナが流行って、この世界は大きく変わってしまった、と誰もが言う。けれど私は、「変わってしまった」という表現にどうも居心地の悪さを感じていた。 確かに、出来ないことは増えた。大人数での飲み会、
寂しくてたまらない、そんな夜が増えた。元来、寂しがりの私。確かにひとりではない筈なのに、世界にひとりぼっちのような気分になるのだ。別に、こころを病んでいるわけではないです。いつもは健全に生活を営んでいるのだけれど、その反動で。 それで、ベッドの隅でうずくまっているとき、いつも思う。あぁ、隣に誰か、特別な人がいてくれたらな。 * 友達に彼氏が出来たと聞くたび、自分がちょっとずつ、卑屈になっていく。あの子にも、あの子にも、みんな恋人がいるのに、どうして私にはいないの。私
気に入った本は、何度も読み返すたちだ。たとえば、村上春樹の「村上ラヂオ」は小学校5年生からの愛読書。工藤直子の「ともだちはうみのにおい」、谷崎潤一郎の「卍」なんかも、思い立ってふと読みたくなる本だ。 同じ本を読み返すのだ。あらすじに、もう新鮮味はない。どんでん返しにわくわくすることもない。けれど不思議と読み返すたび、本は新しい気づきと、気もちを連れてくる。 ✻ 「村上ラヂオ」をn度目に読み返したとき、今まで何とも思わなかった文が目に留まった。 決心なんて所詮、人
初恋の人に電話をかけた。 小学校の時に好きだった人で、仲は良かったけれど告白はできなかった。というか当時の私は、しないことに決めていた。なぜならその時、彼は別の女の子が好きだったから。頭が良くて、美人で、しっかりしていて頼りになるお姉さんのような可愛い子。それで私は、天地がひっくり返っても彼が自分を好きになることはないな、と悟ったのだった。 そんな彼とは、今でも夜中に電話をする仲だ。何か決断に困ったら電話して、アドバイスを貰って。彼はいつも、もう腐れ縁のようなものだと
ありもしないような事を、適当にでっち上げて話すのが得意だ。「○○について3分間スピーチをしてください。」と言われて話すのも、嫌いじゃない。 むかし高校の授業で「あなたは何のために本を読むのか?」と尋ねられたので、「自分の語彙を増やすため」と答えたら、先生にすごく褒めて頂いた。自分でも言葉にするまではピンと来ていなかった。けれど、確かにそうだ。 私は言葉をたべるように本を読んでいる。 気に入った台詞には、それがどんなに短い台詞であろうとしばし、ひたひたに浸っている。そ
占いというのは、大抵誰にでも当てはまりそうなことが書いてある。 「あなたは優柔不断なところがありますが、いざという時には決断力のある人です。」 「普段は温厚な性格ですが、どうしても許せないことがあると、人が変わったように怒ることがあります。」 いざという時に決断力のない人間はそもそも生きていけないし、「どうしても許せない」と言っている以上、怒るのは当たり前のことだ。 しかし、何だかんだ言って女性は占いが好きだと思う。「誕生日占い」の本を持っている女の子は休み時間アイド
雨宮まみさんの「穴の底でお待ちしています」というエッセイを愛読していた。このエッセイの趣旨は、読者から募ったお悩みに答えることだった。例えばそれは「他人の幸せが素直に喜べない」、「引きこもりをやめて外に出る勇気がない」という類いの悩みだった。様々な立場の人から悩みが寄せられたけれど、どんな悩みにもまみさんは真剣だった。 彼女はいつも、悩みを打ち明けにやって来た人に一杯のドリンクを出した。悩みの内容によって、ある時はチェリーがのったクリームソーダで、ある時は温かいほう
松尾スズキ氏脚本のミュージカル「フリムンシスターズ」を観た。この劇のテーマは、いろいろな差別。沖縄の米軍基地での差別や、セクシャルマイノリティの人たちへの差別なんかが痛烈に、鮮やかに描かれていた。 印象に残っているのは、例えばこんなセリフ。 「レズでも生理が来るのね。なんか損した気分じゃない?」 「ホモとレズは全員殺していい。」 ドキッとした。それからなんだか、いやーな気持ちになった。「そりゃ芝居だから、誇張してるんだよ。」と言う人もいるかもしれない。でも、こうい
父親のことがあんまり好きじゃない。どうして、とかどんなところが、と聞かれると非常に困るのだけれど、なんだか合わないのだ。彼の何気ない発言に、結構傷ついたり腹が立ったりしている私と、私の発言に対してよく分からないところで怒り出す父。基本、私は自分の思い通りになるものだと思っている父と、好きにさせてほしい私。天秤が上手く釣り合わないような、そんな感じ。 でも、あんまり好きじゃない故に、普段父を意識する機会は多い。パパが好きだからパパのことばっかり考えているスタンダードなファザ
我が家の冬の週末は、たいてい鍋だった。晩御飯に、家族みんなで水炊きを食べる。そして、食事のお供はフィギュアスケートの中継番組と決まっていた。 私が小学生の頃のフィギュアスケート界は、浅田真央選手がとにかく強かった。数多くの大会で優勝台に立ち、スケートの実力は折り紙付きだったし、何より愛嬌があって可愛らしく、謙虚な姿が大人気だった。本当に小さい子どもからお年寄りまで、まおちゃん、まおちゃんと彼女を応援していた。あの頃、浅田真央に憧れてスケートを始めた人がたくさんいた。彼女
私は感情の咀嚼が下手だ。辛いことがあったとき、悲しいことがあったとき、それから腹が立つことがあったとき。自分が辛いこと、悲しいこと、怒っていることにすぐ気づけない。ずいぶん後になってから「あぁ、あの時私は悲しかったのかもしれない。」と理解するので、もはや悲しかったのだと思い出す、と言った方が正しいのかもしれない。 だから、たまに遭遇する「感情が脳直のひと」はすごいと思う。そういうひと達はむっとしたらすぐに機嫌を悪くして、傷ついたらすぐに涙を流す。どうしてすぐに、この感情は
髪を切ったときや、いつもよりメイクを頑張ったとき。「いまの表現良かったな」と自分でも思うとき。そんなつもりでしたのではないけれど、ついつい誰かに褒めてほしくなる。「可愛いね!」とか、「素敵!」と言われたくってたまらない。早く気づいて!と、そわそわしちゃう。どんな風に褒めてくれるの?と、どきどきする。 でも、私は全然素直じゃない。正直に「髪切ったの、褒めて!」と言えない。 だからまず、「髪色変えた?可愛いね。」と友人を褒める。友人の意識が髪にいく。すると何かに気づいて、
友達としての好き。恋愛の好き。私たちはその狭間で揺れる。一体、境目はどこにあるのだろう、と悩みながら。 * 果汁100%のオレンジジュースがある。 スポイトを使って1滴だけ水をたらす。 オレンジの果汁のなかに、水が1滴。 まだこれは、オレンジジュースだ。 さっきのオレンジジュースに、もう1滴だけ水をたらす。 オレンジの果汁のなかに、水が2滴。 まだこれも、オレンジジュース。 そのオレンジジュースに、どんどん水をた